ひどく面白くない冗談が壊れたラジオから流れている
それは品のない道化のようで
監視カメラは不快感をあらわにしている
いつの間にか簡単に人が嫌いになれるようになった
掃き溜めの中 ぼくらの英知はとうに干上がってしまった
野蛮に取り囲まれれば人はずっと聖人ではいられない
したがってぼくは聖人ではいられない

ある日、慈悲を載せた船が彼らの頭上に降ってきた
鮮烈なまでに浅ましい赤が空を塗り替えて
最後には一人残らず等しく救った
だからもうここには怒りも悲しみもない
誰もが望んだ世界だ
祝福する者もいないことただひとつを除いては

苦痛を損なった大地に三千回目の雨が降る頃
隣町のラジオからひどいジョークが流れた
あの鉛がやってくることを
社会性の淘汰を
救済を
全ての隣人が祈るようになるまでに時間は要らない

でもそれは今に始まったことじゃない
サイレンはいつも耳元で鳴っていたことに
この国の住民は誰も気づいていないのだ
誰もが知らない人の肖像画を眺めているようだった

これは本当にぼくたちが望んだ未来だった?

「人工衛星だったものが煙になって
 誰かの夢だったんだろうな」

大人になってしまった


「そういうことに決めている。」

思想に刻むそれは呪いに近く、大方は自分のレーゾンデートルを自身で蝕むことになる。
それでも自分を戒めるのは自分自身であるべきで、「他者のせいにしない」を遂行し続けると決めている。

生きやすくなったようで息苦しくもなった。
自分を赦すのは自分だけだと決めてしまったからだと思う。
ただ、都合が良かったのは「本当は誰かのためになんて生きられない」自分を、「他者の気持ちを本質では理解することができない」自分を、私が赦すことができることである。

なので、今日は自分を赦すことにした。

_var_mobile_Media_DCIM_100APPLE_IMG_0548.HEIC

なんて言ったって今日は「世界ペンギンデー」なのだから。

少し久しぶりになったが、ペンギンたちに会いに名古屋港水族館まで来ている。

_var_mobile_Media_DCIM_100APPLE_IMG_0549.HEIC

疲れたら休む。
これからはそうすることに決めた。



2021年の目標の一つ、このブログを月に二回は更新するという自身への確約を、1月にして早速反故にするまでのカウントダウンが始まっている気がした。
だからというわけではないけれど、いや、ほんとは少しだけそうなんだけど、私は今、ペンギン水槽の前でこのブログを書いている。


職場から名古屋港まで電車で一本で行けることをいいことに、夜に稼いだ後にここまで来ることが昨年の秋から、月に一回の楽しみになった。
ついには昨年12月に名古屋港水族館の年間パスポートを購入。
1枚の顔写真付きのカードが「いつでもここに逃げてきていいよ」と言っている気がして仕方ない。
そして今日も逃げてきた。


ホモ・サピエンス同士では癒せない疲れや傷は確かにあって、私のそれを癒すのは名古屋港水族館で暮らす動物たちだった。


人間が、自分が自分で在り続けるのは難しいと思うことがある。
全く関係ない他者の目まで気にして生きていかなければ成立しない社会の中に人間はある。
そうやって自分のまま在ることができる人ってどれだけいると思う?
自分はどっちだと思う?


水槽のペンギンは良い。
違う種のペンギンがいても全く歯牙にかけないし、必要以上の干渉をしない。
他者のことなんて気にしなくて良い彼らは自分のことだけを全うしている。


ペンギンが水の中を"飛んでいる"。
水の中で羽ばたく彼らは飛ぶ場所を空から水中に変えただけで、間違いなく鳥であると、改めて思う。


私も飛ぶ場所は、いる場所は自分で選び続けていたいと強く思わせてくれる。
私がペンギンを好きでいる大きくて一つの理由である。


あと、かわいいしね。
餌の時間の時だけ手段選ばないし。


好きなものの話。
今月2回目のブログに続きます。

↑このページのトップへ