月別アーカイブ / 2017年11月

■3分で読める『致知』の感動実話
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【1万人以上の心を救ったカウンセラーの
「生かされた命を全うする生き方」】

 10年で1万人を超える人の
 心と寄り添ってきた
 カウンセラーの中島輝さん。
 
 95%という高い回復率の裏には   
 小学4年の頃から経験してきた、
 分裂症、躁鬱症、パニック障害や
 10年間にも及ぶ
 引きこもり生活がありました。

 そんな中島さんが実感した
「生かされた命を全うする生き方」とは。

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 私の病の発端は、
 5歳の時まで遡ります。

 家業で忙しかった
 両親の代わりに
 パパ・ママと呼ぶほど
 慕っていた里親が事業に失敗し、
 突然、夜逃げしてしまったのです。

 その喪失感から
 人を信頼できなくなり、
 幼い私は自分一人で
 生きていくと固く決意しました。

 その後、実家で
 暮らすようになったものの、
 自炊を始め、風邪をひいても
 自力で治す方法を探すなど、
 誰にも頼ることなく、
 感情を押し殺して
 過ごすようになりました。

 ・  ・  ・  ・

 小学4年生になると、
 ストイックな生活がたたって斜視、
 分裂症など、幾多の病状に
 苦しむようになりました。

 心身ともに
 助けを求めてはいるものの、
 私の心にあったのは、

「この症状を絶対に
 誰にも見せるもんか」

 という必死で、
 頑なな一念のみ。

 愛情を注いでくれない
 両親への憎しみも
 あったのでしょう。

 自分が誰だか分からなくなると、
 足のつけ根を強く抓って
 正気を取り戻しつつ
 一人耐え忍びました。

 なぜ自分にばかり
 次から次へと困難が来るのか。
 何のために生きているのか。

 
 自問する10代、20代を
 過ごしました。

 ・  ・  ・  ・  ・

 一方、家業は父が
 飲食業から不動産業まで
 手広く拡大し、
 従業員も2、300名ほどに
 増加したところでバブルが崩壊。

 多額の借金を負う羽目になり、
 会社も私生活も
 窮地に立たされました。

 そんな状況下で
 長男の私は24歳の時に
 会社を存続させるために
 家業を継ぐことになり、

「借金を返さなければ」

 といった責任感に駆られ、
 極度の完璧主義者
 だったことも相俟って、
 過呼吸とパニック障害の発作に
 常時悩まされるようになりました。

 錯乱状態になり、
 何度自殺を試みたかしれません。

 そして25歳の時、
 遂に外出できなくなりました。

 
 ・  ・  ・  ・  ・

 電話カウンセリングを頼っても、
 他人事で通り一遍な
 受け答えばかり。

 
 苦境から逃れたい一心で、
 安岡正篤先生やゲーテをはじめ
 思想や哲学、心理学の本を
 貪るように読み、
 自分で自分にカウンセリング
 するようになりました。

 日中は会社経営を行い、
 真夜中には人目に触れず 
 外出のトレーニングを
 積みました。

 いまでも覚えているのが、
 自宅から200メートルの距離の
 コンビニに何とか辿り着くと、
 もう二度とこの場所には
 来られないのでは、
 という強迫観念に駆られ、
 駐車場に這いつくばり
 石や土を食べてしまうのです。

 当時は無我夢中で、
 異様な行動をしている自覚は
 ありませんでした。

 ・  ・  ・  ・  ・

 どん底を経験しながらも、
 私が光を見失わずにいられたのは、
 一人の恩人の存在が
 あったからでした。

 
 その方は大企業の社長で、
 年に数回お会いしていましたが、
 私の顔を見て瞬時に

「もっと頑張れ」

 と言ってビンタしたり、

「もういいよ、頑張るな」

 と抱きしめてくれたり、
 その時々の私の状況に合わせて 
 言葉を掛けてくれるのでした。

 心の奥底で希望の光が 
 消えそうになり、
 もう死ぬしかないと
 首にロープをかけた時にも、

「またその方に
 会えるかもしれない」

 という思いが脳裏をよぎり、
 踏みとどまることができました。

 ・  ・  ・  ・  ・

 ところが何と、
 その方は50代の若さで
 急死してしまったのです。

 がんでした。
 葬儀に出たくても、
 外出できない私は涙を呑むしか
 ありませんでした……。

 1年後に
 社葬が行われることを知ると、
 何としても参加しなければ
 と思い立ち、
 毎晩精神安定剤を飲み、
 朦朧(もうろう)としながらも
 死ぬ気で外出のトレーニングを
 重ねました。

 当初は500メートルすら
 移動できなかったものの、
 徐々に距離も延び、
 どうにか社葬に参加できました。

 その時は何も恩返しできずに
 過ごしている自分が不甲斐なく、
 ただ号泣することしか
 できませんでした。

 しかし、絶対
 にご恩に報いたいという
 感謝の思いが原動力となり、
 その方のように、
 必要な時に必要な言葉を
 掛けられる人物になると
 決意したのです。

 
 三十五歳の時でした。

 
 ・  ・  ・  ・  ・

 すると、その後の
 トレーニングは着実に進み、
 私は病を克服。

 病院などの既存のサービスで
 満足に治療を受けられなかった
 苦い体験をもとに、
 経験者である自分だからこそできる
 カウンセリングをしてきました。

 特別なことをしたつもりは
 ありませんでしたが、
 カウンセリングを希望する方が
 口コミで広がり続け、
 一時期は400名の方が
 半年先まで予約待ちに
 なるほどでした。

 ・  ・  ・  ・  ・

 私は一人の恩人によって生かされ、
 感謝の思いを支えに今日まで
 歩いてきました。

 私と同様に、
 生かされた命を全うすることが、
 どんなに幸せなことなのか、
 一人でも多くの方に知ってほしい。

 その一心で今後も
 仕事に打ち込みたいと思います。

 ――『致知』
    連載「致知随想」より

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【輝さんは、なんでこんなに目が綺麗なの?】
 
ひょんなことからのぶみさんとのご縁が繋がり、
2人で会食していた際に言われた一言です。

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このセリフを聞いて、
そういえば小学生の頃にも同じようなセリフを
言われたことを思い出しました。
  
スクールバスを待っていると
いつも同級生の男の子たちが
自分の目を覗き込んでこう言います。
「なんで中島の目はこうなんだろうな〜」
 
それは自分でもわからないのでいいとして…(笑)
 
 
のぶみさんから次のステージにいくための
アドバイスをたくさんもらいました。
 
次のステージにいくには
「今の自分を超えなくてはならない」

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のぶみさんの中でいちばん好きな本
「いのちのはな」はそんな話。
  
ぜひ手にとって読んでほしい。
あなたの勇気が湧いてくる1冊だから!!

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人は自分自身の主観を真正面から見ることができません。

自分自身の主観を知り、受け入れること。
それは、本当の自分らしさを知ることになります。
それを知った人こそが、本当の輝く人なのではないでしょうか。

そして、恋愛や夫婦関係も同じこと。
お互いの主観を知り、受け入れることで
本当の絆というものが生まれるのではないでしょうか。


みなさん、自分の心で感じてみて下さい。
本当の自分らしさを。


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