2019/06/30 投稿
合氣道稽古にて氣づき
合氣道の稽古に行くと、いかに余計な力が入っていて、いかに自分都合で動いている、生きているかに気づかされる。
「それが何か問題でも?」という意見もあるかと。
ごもっとも、生き方は自由なので勿論なんの問題もないかと。
ただ、俺なりに少しづつ分かってきた事があるんですよ。
余計な力が入っていると、、、
出来ることも出来なくなる。
疲れやすく、ストレスも受けやすくなる。
上手く動けなくなる。
それが合氣道で相手が凄い人なら身動き出来なくなる。
とにかく損しかない!!!
じゃあ力を抜けばいいかと言うと、そういうわけでもなかった。
まずは、そもそもそう簡単に力など抜けない!!
力を抜くとは、力を入れる100倍も1万倍も難しい!!
これまでの人生において軽々しく「力を抜けばいいのか!!」なんて言ったこと数知れずですが、あ〜恥ずかしい。
合氣道に通うようになって、力を抜く難しさを痛感。
稽古にて、自分では力を入れていないつもりなのに「牟田さん、力抜いて」と何万回言われたたことか。
そこで力を抜くと今度は「牟田さん、氣が抜けてます」ときたもんだ。
じゃあどうしたらいいの??!!😆
とにかく損しかない!!!
じゃあ力を抜けばいいかと言うと、そういうわけでもなかった。
まずは、そもそもそう簡単に力など抜けない!!
力を抜くとは、力を入れる100倍も1万倍も難しい!!
これまでの人生において軽々しく「力を抜けばいいのか!!」なんて言ったこと数知れずですが、あ〜恥ずかしい。
合氣道に通うようになって、力を抜く難しさを痛感。
稽古にて、自分では力を入れていないつもりなのに「牟田さん、力抜いて」と何万回言われたたことか。
そこで力を抜くと今度は「牟田さん、氣が抜けてます」ときたもんだ。
じゃあどうしたらいいの??!!😆
「力は抜くけど氣は抜かない」これは一生かけて習得したい至難の業でして、
そんな中、最近、ようやく、たま〜に「力抜けたかな〜」なんて感じる事も。
がしかし!!!!!
ただ力が抜けただけでは意味が無かった事に気づかされる。。。
奥深いな〜。
そりゃそうだ。
そもそも何故力を抜くのか???
理由は沢山あり、そこそこ理解しているつもりでしたが、最も重要な事を忘れていました。
突然話は変わりまして、
同じコップを2つ用意し、片方には水を入れ、片方は空っぽにする。
どっちに水が入っているかは持てば分かるわけですが、コップをギュッと力んで持つと、分からなくなる。
軽く持てば当然分かる。
人は力むと感覚が驚く程に低下する。
それでいて人はちょっとした緊張や動揺で、いとも簡単に、無意識に力んでしまう。
するとコップの重さの違いすら分からなくなるわけで、相手の状態や気持ちなどはサッパリ分からなくなる。
しかも自覚なし。
力むと、今何が起こっているかが分からなくなっていることすら分からなくなる。
力を抜くとは、相手の状態を感じるため。
がしかしまだそれだけではなかった。
相手を感じたならば、今度は相手とぶつからない点を見つける。
力んでいては自分都合にて見つからない。
かと言って力を抜いただけでも自分都合にて見つからない。
力を抜き、感度を高め、相手を感じ、ぶつからない手を見つけようとして、初めて見つかる。
ココに気づいてなかった〜
力を抜くとは、相手とぶつからない点を見つけるため。
そこを見つけると、掴まれても動けるんですよ!!
力むと、今何が起こっているかが分からなくなっていることすら分からなくなる。
力を抜くとは、相手の状態を感じるため。
がしかしまだそれだけではなかった。
相手を感じたならば、今度は相手とぶつからない点を見つける。
力んでいては自分都合にて見つからない。
かと言って力を抜いただけでも自分都合にて見つからない。
力を抜き、感度を高め、相手を感じ、ぶつからない手を見つけようとして、初めて見つかる。
ココに気づいてなかった〜
力を抜くとは、相手とぶつからない点を見つけるため。
そこを見つけると、掴まれても動けるんですよ!!
がしかしまだそれだけではなかった。
ぶつからない点が見つかったなら、今度は良き方向へ、迷わず率先して導く。
すると、どこもぶつからず、気持ち良く共に動ける。
力を抜くとは、相手と共に良き方向へ向かうため。
技が気持ち良く成立する。
今のところ、俺が自分なりに理解しているのはこの辺りまでであり、これが正解とは限らないし、この先どこまであるのかもわからない。
そこが面白い。
自分と同じ人間がいたらキモい😆
人間は一人では生きられない、仮に一人きりなら自分が人間という事にすら気づかないという仮説も。
人は必ず人と接し、それでいて自分と全く同じ価値観、思考の人などいない。
仮に自分と全く同じ思考の人がいたとして、その人と暮らすって想像しただけで、、、嫌だぁ😆
それでいて、自分とちょっとでも価値観が違うだけで不満を抱くとは余りにも身勝手。
という事は、相手を感じられ、強引に動かすでも動かされるでもなく、ぶつからない点を見つけ、共に良き方向に動ける方が、得で、楽で、ストレスなく、幸せかと。
ちなみに合氣道は基本的には関節技なので、相手を感じないまま強引に動きあうと、痛いんですよ。
がしかし相手を感じられると、ストレッチとなって、むしろ気持ちいい。
同じ動作をしているのに、方や痛い、方や気持ちいい。
同じ環境にいながら、方や文句ばかり、方や感謝し楽しんでいる人もいる。
そりゃ気持ち良くて楽しい方がいいに決まってる。
そりゃ気持ち良くて楽しい方がいいに決まってる。
だから「力は抜くけど氣は抜かない」練習を今日も重ねる。
ハイ、全て自分に言っております。
ハイ、自分を整理する為にブログにしております。
ハイ、全て自分に言っております。
ハイ、自分を整理する為にブログにしております。
ここまで読んで頂きありがとうございます、少しでも共感して頂けたなら幸いです。
本日
個人レクチャーありつつ「オンラインサロン・イマカラダ」でのやり取りありつつ、様々なやり取りあり。
力を抜き、相手を感じ、ぶつからない点を見つけ、共に良き方向へと行動します!!
そして!!
皆で相手を感じながら打楽器を叩く「セロトニンドラムサークル」は来週もありますので、良かったら!!
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