野崎弁当です。





※本文には特に関係ない2018年の自撮りです。





さて、MeseMoa.の新曲である『殺生石セッション』ですが、カップリング曲には僕が作詞した『オペラグラス』という曲が収録されています。

今回は、どんな気持ちを込めて『オペラグラス』の詞を書いたのか、少しだけ触れていきたいと思います。

※『殺生石セッション』発売の御礼は、また別記事で改めてブログに書こうかなと思います。




1【経緯】


まず、今回なぜ僕が『オペラグラス』の作詞をすることになったかをご説明します。




スタッフさん「野崎さん作詞できる~?」

野崎弁当「はい~。やってみます~」




以上です。




こんな経緯で決まったカップリング曲の作詞ですが、そもそも今まで僕にはちゃんとした作詞の経験など無く、中学生の頃、どこにも発表せずお遊び程度でやっていたくらいでした。

そんな訳で、別に今まで作詞について勉強したわけでもなければ、他者からの評価を貰ったこともない。

なので、「とりあえず好きに書いてみよう」と思って書いたのがこの『オペラグラス』です。




2【テーマ決め】


さて、この『オペラグラス』ですが、結論から言えば、この曲は同じくMeseMoa.の曲である『UNBALANCE BOY』のアンサーソングとして書きました。

※アンサーソングと言いましても、あくまでも『UNBALANCE BOY』の中の一つの解釈へのアンサーとして作っていますので、必ずしも今回の解釈が『UNBALANCE BOY』の正しい訳ではございませんのでご注意ください。



んで、なぜ『UNBALANCE BOY』へのアンサーソングにしたのかということなのですが、最初に曲のデモ音源を頂いた時に、既視感を感じたからです。

というのも、もともと『UNBALANCE BOY』は、デモの段階ではもっとユーロビート感が強い楽曲でした。

なので、今回新しいカップリング曲のデモ音源を聴いた時に、すぐに『UNBALANCE BOY』のデモ音源を思い出した訳です。


そして、僕はもともと二次創作文化が個人的に好きで、「一つの物語から、その背景や周囲を想像し、別の物語を生み出す」という行為に馴染みがありました。

そこで、「じゃあ、UNBALANCE BOYの二次創作をこの曲でしたらどうか」という考えが頭に浮かんだのです。


とはいえ、同時にただの二次創作で終わらせるのも勿体ないだろうなと思いましたので、『UNBALANCE BOY』へのアンサーソングというテーマを土台にしたうえで、そこに自分の思っていることをスパイス的に加えていこうという形を取りました。




3【内容】


よく道を歩いている時に、不思議な感覚に包まれることがあります。

「今、自分の周りにいる人たちは、それぞれの記憶があって、それぞれの人生があって、それぞれちゃんと生きている」

それをとても不思議に、且つ凄いことだなと思ったりすることがあります。


自分は自分の記憶しかないし、自分の人生しかわからない。他人の脳の中に入り込むことは出来ないし、他人の記憶や思考を自分のものにすることは出来ない。

でも確かに、それぞれの人にはそれぞれの記憶があり、人生があり、意識があり、思考がある。

それぞれの人にそれぞれの悩みがあり、想いがあり、経験があり、視点がある。

同じ物を見ているようでも、自分には気づかない視点で物事を見ていたり、

自分には気づかない視点で、僕のことを見ているかもしれない。


あの人から見たら、これはどんな風に見えているのだろう?

この人から見たら、これはどんな風に見えているのだろう?

あの人から見たら、僕はどんな風に見えているのだろう?

この人から見たら、僕はどんな風に見えているのだろう?




そんなことをふと思ったりすることがあります。




同じ物を見ているようでも、自分から見える景色と、他人から見える景色は違う。とても不思議なことですが、この世界に生きている以上それは当たり前のことで、そんな当たり前のことを僕は忘れがちで、でも、忘れたくないと思っています。





『UNBALANCE BOY』の主人公である「僕」は、苦しんでいるのでしょう。

少年と大人の狭間で、あるいは、自分と誰かの狭間で。

そうして苦しんで苦しんで、「僕」は言います。



「その目をそらさずに 僕を最後まで見てよ」



でも、ふと思うのです。

君がそう思っている時に、誰かも君に対してそう思っているんじゃないかな。と。



「僕」が悩んで、苦しんでいる時に、同じように悩んで、苦しんでいる誰かは、きっと近くにいたんじゃないかと。




「君は、目をそらさずに、私を最後まで見ている?」




自分が気づいていないだけで、誰かがそう問いかけているかもしれない。





ホールでのライブに参加するとき、オペラグラスを持ってくる方は多いと思います。

オペラグラスって推しカメラするときに便利ですよね。

自分の目だけではぼんやりとしか見えなかったのに、オペラグラスを通して見たら、途端に見たいものとの距離が近くなって、鮮明に姿を追うことが出来て、時には一挙手一投足まで把握することが出来る。

範囲は狭まるかもしれないけど、急に視界がクリアになって、見えなかったものが見えるようになる。




「覗いてよオペラグラス もっとこっちを気にしてよ」
「ゆらゆらずっと揺れる世界は、君だけのものじゃない」



もし「僕」の手元にオペラグラスがあったら、

今まではぼんやりとしか見えなかった誰かが、同じようにこの世界でアンバランスに生きているのだと、気づくかもしれない。


気づいてほしいなと思います。







「目をそらしちゃっているのは 君だってほら同じだよ」


それは皮肉であり、優しさ。「僕」がその存在に気づいた時に、「僕」の目の前は、またもう一つ、開かれていくのだと思います。