おはようございます。野崎弁当です。





5月21日に、僕の聖誕祭(生誕祭)を行いました。現地に来てくれた皆様、配信を見てくれた皆様、本当にありがとうございました。皆様のおかげで当日は本当に楽しい一日となりました。フラフープとクイズは今後も精進したいと思います。



僕の本当の誕生日は4月28日なので、およそ一か月遅れの開催でした。


コロナやら何やらで聖誕祭の開催が遅れてしまいましたが、一先ず開催できて本当によかったです。





35年。


この世に生を受けてから35年も経ちました。


この35年間、僕はどんな生き方をしてきたのでしょう?






僕は北海道で生まれました。


小さい頃の記憶と言えば、


ミッフィーのガムを噛んでは口から出し噛んでは口から出し部屋中に捨てていたこととか、


箱ティッシュの中身を大量に出してティッシュの中に埋もれてみたこととか、


ろくな記憶がありません。




幼稚園は、先生も優しくて楽しかったです。


でも夢を持たない子どもだったので、卒園文集に将来の夢を書く時には一切興味のない「野球選手」と適当に書きました。運動も球技も当時から大嫌いだったのに。




小学生になり、変なことをいっぱいしました。


スキーとスイミングを習いました。


そもそも運動が嫌いなので当時は楽しくなかったけど、スキーが滑れるようになったことと、四泳法を全部泳げるようになったことは財産だと思っています。



趣味はもっぱらゲームでした。


麻雀は小学生の頃に覚えました。


自作の小説(黒歴史)を書き始めたりもしました。


創作意欲が収まらず、RPGツクールでゲームを作り始めました。


幽☆遊☆白書のアニメに影響され、将来の夢には「声優」と書きました。




中学生になっても変なことをいっぱいしました。


当時仲の良かった友達の多くがバレー部に入っていました。


僕は、友達が多くいるバレー部と、なんとなく興味をひかれた卓球部と迷って、より楽な運動部に入りたいという理由で卓球部に入りました。


ただ、当時通っていた中学校に陸上部はありませんでしたが、もしあの時陸上部があったら、僕は陸上部に入っていたような気がします(あらゆる運動の中で持久走だけは好きだったので)。


バレーや陸上をやっていたら結構人生が変わっていたような気がしますが、とりあえず卓球部は楽しかったので良しとします。


ちなみに運動が嫌いなのになぜ運動部に入ったかというと、なんとなく人生経験的に運動部に入ることも必要かなと思っていたのと、当時の僕は身長だけメキメキ伸びていたので「この体があれば運動が苦手でも割といいとこまでいけるのでは?」と思ったからです。幻想でしたが。




卓球部の部長をやりながら、生徒会長もやりました。


僕の一学年上の先輩が、同じく卓球部の部長をやりながら生徒会長をやっていたので、それに影響された感はあります。


先輩は当時の男子の中では背が低いほうだったので「ちっちゃな生徒会長」と呼ばれていました。真面目だけど頑固で短気でやや気難しい先輩でしたが、でもどこか愛嬌があって憎めない先輩でした。


当時の僕も真面目(当社比)で頑固で短気だったので、なんとなく親近感を抱いていたような気がします。もう20年くらい会っていませんが、またいつか会いたいなーなんて思ったりしています。



余談ですが、生徒会長になった中2の時に、卒業生を送るためのイベントでちょっとした演出をしたら、それが顧問の先生にめちゃめちゃ褒められて「演出とかの仕事を目指したら成功するよ!」と言われました。それはとても嬉しかったので、その言葉は今でも心の中に保管しています。






ゲームと麻雀は相変わらず好きでした。


自作の小説(黒歴史)など、読み物の作成も続けました。


創作意欲が収まらず、RPGツクールでもゲームを作り続けました。


インターネットを覚え、中3の頃に初めてオフ会に参加しました。




将来の夢は「学校の先生」でした。







高校生になっても、変なことをいっぱいしました。


友達の多い近くの高校か、校風に惹かれた遠くの高校か迷って、なんとなく環境を変えたかったので遠くの高校にしました。


高校生活はスタートに失敗したので、なるべくひっそりと過ごしました。


あとは図書局に入り、図書館だよりのような発行物を死ぬほど作っていました。



そして、ゲームとネット大喜利とお笑い番組にハマりまくったせいで成績が落ちました。


特にネット大喜利へのハマりかたが凄まじく、いっそのことお笑い芸人の道を目指そうかと思いました。その時、たまたまテレビでエンタの神様が放送されていて、そこに「WAGE」の皆様が出てコントを披露していました。


「WAGE」とはもともと早稲田大学のお笑いサークルの名前でしたが、そのサークルに所属していた5名の方々が、そのサークル名をそのままユニットの名前にして活動していました。


それを見た僕は「早稲田大学にお笑いサークルがあるのか……」と少し惹かれたので、なんとなく親に「早稲田大学興味あるんだけど……」みたいなことを言ってみたのですが、東京の私立大学に通うための学費をどう工面したらよいのかという点で親を悩ませてしまったので、早々にその道はやめました。


後からその時のことを親に聞いたら、「考えすぎて眠れなかった」と言っていました。




ちなみにWAGEの5名の中には、現・かもめんたるのお二人や小島よしおさんがいらっしゃったのですが、あれから十数年経った後、僕は舞台『殺してもいい命』において、かもめんたるの槙尾ユウスケさん、そして小島よしおさんのお二人と共演することになります。


あの時、早稲田への道は選びませんでしたが、人生とは不思議なもので、嬉しいことに気が付けば今こうして槙尾さんや小島さんと交流できている。


あの時、高校生だった自分に「その憧れを抱いた方々と、君は十数年後共演することになるよ」と言ってみたい。



2丁拳銃の修士さんとも舞台で共演するし、どきどきキャンプの佐藤満春さんとも仲良くなって一緒にコントをしたり一緒にネットで番組を持ったりするよと言ってみたい。



当時の自分が聞いたら、なんて思うでしょう。





「抱いた夢は、たとえその夢を諦めたとしても、いつか違う形で自分に巡ってくる」





また一つ、あの時の夢が違う形で巡ってきたのだと思います。





ゲームと麻雀は相変わらず好きでした。


自作の小説(黒歴史)の執筆はいったんやめました。


でも創作意欲は溢れていたのでRPGツクールではゲームを作り続けました。


歌を歌うことが好きになり、カラオケに行きまくりました。


その他の時間はネット大喜利ばかりやってました。


成績は落ちました。




最終的な将来の夢は「学校の先生」でした。






大学生になっても変なことをいっぱいしました。


楽しい日々でしたが、将来の夢であった「学校の先生」を諦めました。


自分にはこの仕事は出来ないなと思いました。


少なくとも今の自分には無理だなと、そう思いました。





麻雀はやめました。


ゲームとネット大喜利とRPGツクールでの創作活動は続けていました。


めちゃくちゃ酒を飲みました。


カラオケは付き合い程度に行きました。


ニコニコ動画にハマり、投稿も始めました。


卒論は頑張りました。





将来の夢を失ったまま、就職しました。


仕事を通じて、また、様々な人と出会うことを通じて、社会に触れました。


社会は本当に広いものでした。


大学生の時までに見ていた社会が、いかに狭いものだったかを痛感しました。


上司に怒られながら、たくさんのことを勉強しました。




ネット大喜利をやめました。


お笑い番組を見ることもやめました。


RPGツクールでゲームを作ることもやめました。


お酒の量は減りました。


カラオケが嫌いになりました。


再び卓球をやり始め、卓球友達が出来ました。


ゲームで遊ぶことは変わらず好きでした。


ニコニコ動画への投稿も変わらず好きでした。




将来の夢は、










漠然と思い描いてみたことはありましたが、あまり考えないようにしていました。


なんとなく、未来のことを想像したくなかったからです。






そして、紆余曲折あって、自分が30歳になる年に7年勤めていた北海道の職場を辞め、上京し、アイドルになりました。






ゲームは変わらず好きで、好きなゲームに関するお仕事を頂けたりもしました。


舞台や朗読劇、声優をテーマにしたラジオのお仕事、その中で挑戦したボイスドラマなど、声や演技にまつわるお仕事をしました。小学生の頃の夢が少し叶いました。


カラオケは嫌いなままですが、ライブで歌を歌うことはとても好きになりました。カラオケに行き倒していた高校時代の経験も土台の一部になっているような気がしました。


大喜利やお笑いにハマっていた経験のおかげで、お笑いをお仕事にする方々との出会いが、より素敵な物になりました。再びお笑い番組を見始めました。


麻雀をしていた経験があったおかげで、麻雀友達ができました。再び麻雀を始めました。


ブログで色々な文章を書いたり、DDで企画したボイスドラマの脚本を書いたりしました。高校の頃、図書館だよりを作るために死ぬほど文章を書いていたことや、卒論で死ぬほど文章を書いたことが役に立ちました。小学生の頃から行っていた謎の執筆活動の経験や、RPGツクールでゲームを作っていたことにも、意味があったのかなと思いました。


お酒はほとんど飲まなくなりましたが、めちゃくちゃ酒を飲んでいた大学時代のおかげで、お酒の席があっても難なく過ごせるようになりました。


今になって水泳が好きになりはじめて、ちょっと暇になったときは「泳ぎたいなー」とか思ったりもします。


卓球はまだ本格的には再開させていませんが、いつでもできるよう準備はしてあります。


取得した教員免許や司書資格は、僕の宝物となっています。








将来の夢は、


死ぬときに「良い人生だった」と思えるような生き方をすること。




達成したい当面の目標は、


MeseMoa.として武道館に立つこと。




35歳野崎弁当。まだまだ頑張っていきます。