5月に入り、苗が植えられた水田を目にすることが増えたこの頃。
岩手県沿岸部へ、今年最初の復興支援ボランティアに行ってきました。
当方と岩手県沿岸部との縁とこれまでのボランティア活動については、
下記リンクに記しています。
→室井昌也 =できることをこれからもずっと=
時間がある時は、縁ある岩手県へ災害ボランティアに行っています
以下、韓国球界に有益な情報はありません。
あの日から3年が過ぎ、ボランティアのニーズが変わってきていることは、
以前も記しましたが、今も必要とされる、
長期滞在型の活動ができない当方は、
今回も北上市社会福祉協議会さんが用意してくれた、
日帰りのボランティアバスに参加しました。
今回の行き先は陸前高田市。
思い入れ深い土地のひとつであるこの地に訪れるのは、
2012年9月以来です。
壊滅的な被害を受けた市中心部は、大きく変化していました。
高くそびえ左右に延びる鉄骨。「○○大橋」といったものを思わせますが、
これらはすべて、高台造成用の土砂を運ぶためのベルトコンベヤーでした。
更地となった広大な土地に延びるベルトコンベヤー。
切り崩された山から運ばれた土砂が吐き出されます。
かさ上げされた部分。斜面に芝が植えられている箇所もありました。
このような高台がいくつかできていますが、すべて完成するには、
とてつもない時間がかかるように思います。
ベルトコンベヤーの稼働については、3月24日付の以下の新聞記事で詳しく記されています。
→陸前高田で巨大コンベヤー稼働 復興工事の土砂搬出(MSN産経ニュース)
→土砂運搬、長さ1キロのコンベヤー 陸前高田で稼働(朝日新聞デジタル)
→巨大コンベヤー稼働 陸前高田、高台造成の土砂運搬(岩手日報WebNews)
上記記事をまとめると、
「ベルトコンベヤーの長さは現時点で約1.1キロ、7月には全約3キロが完成」
「宅地などの整備のため、高さ約120メートルの山を約45メートルまで削り、
大量の土砂を気仙川対岸に運ぶ」
「ダンプカーでは約10年かかるところをコンベヤーの活用で大幅に短縮。
42ヘクタール、東京ドーム約6杯分の土砂を2015年5月の搬出完了を目指す」
ということのようです。
もし震災のことを知らず、かつてのこの街の姿を知らない人が見たら、
「埋め立て地に新たな街を造成している」と思うかもしれません。
震災直後の姿でもなく、震災前の姿でもない景色が広がっています。
さて、当方はじめ一行19人の任務は、
畑を作るための土づくりでした。
写真左側がすでに作業が終わり、整地された部分。
右側が今回我々が担当する場所です。
土砂を掘る人、運ぶ人、ふるいをかける人に分かれて、
作物を栽培するための土づくりです。
作業前はこんな感じ。
これらの道具を使います。
午前、午後の約3時間で、ふるいにかけた土です。
今後この場所では、すいか、メロン、かぼちゃ、トマトなどを栽培するとのこと。
以前、陸前高田ではあずまや作りのための草むしりをしたことがありますが、
今回の作業もそれに近いものです。
人々の生活にすぐに直結するようなものではありませんが、
ここで実った作物が、地元の人に愛されればと思います。
東京にいると陸前高田に巨大ベルトコンベヤーが稼働していることなど、
あまり知られていません。
当方、今回のようにたまにしか現地を訪れることしかできない身で、
偉そうなことを言うつもりはないのですが、
多少なりとも発信することを生業としている者として、
このような形でお伝えできればといつも思っています。
3年以上の月日を経て、直接被害にあった人とあわなかった人はもちろん、
被害にあった人の中でも、その度合いや置かれた状況の差は、
広がっているのではないかと想像します。
そんな中、離れた地にいる人ができることは、
ありきたりではありますが、
「忘れないこと」
ではないかと思います。
東北の人たちと接して常々思うのは、他の地域の人に比べて、
「耐える」「我慢する」ことに長けているということ、
その一方で「発信力」が不足していると感じます。
それは日本人らしい「奥ゆかしさ」ともつながりますが、
震災後の状況が他の地域にあまり伝わらない理由のひとつのようにも思います。
しかし、忘れない人が多ければ、情報は求められるわけで、
これからは前向きな話題がたくさん、
運ばれてくるといいなぁと思った、今回の訪問でした。
室井 昌也