月別アーカイブ / 2022年01月

恥ずかしがりやの小学生時代。
将来は芸能界の憧れを抱いていながら、とにかく注目されるのがいやな複雑な子だった。

あれは小学5年生の頃だったか…職員用の玄関掃除をしていた。
突然、鼻からつつつと何かがサラサラ流れた。何だ?と思ったら、鼻血。
しかも大量に流れてきて、スヌーピーの青エプロンがあっという間に血で染まってしまった。スヌーピーも真っ赤なホラー顔になった。
保健室は、職員用玄関と廊下を挟んだ真向かいにあり、10歩あるけば入れるくらい近かった。
私は血を止める事よりも、何よりも注目されるのがイヤなので、鼻血をなかった事にして隠蔽した。

血がまだ流れ続け、エプロンの青に、鼻血の赤が加わり、紫に変色していく…。
それでも無心で玄関を箒ではきつづけたのだった。
周囲に、もしかして最初から紫エプロンだったっけ?と思われる事を期待して。

しばらくしてクラスメート女子に呼ばれ、振り返ったら、その子が絶叫した。


結果、注目の血だらけの人物となったのだった…。



今日の一枚

歩いていたら、すぐ近くに大きな鳥が柵にとまっていてびっくりした。
お散歩中のわんこが後ろを通った時、長い首が体にしゅるしゅるしゅると収納されていった。
これは、サギかな?

一般的なオムレツと聞くと、どんなものを想像するだろうか。
村田家はいにしえの頃より、刻み玉ねぎと挽肉(塩こしょう)を、溶き卵に混ぜ、それを卵焼きのように焼き、最終的にソースをかけて終了のオムレツが食卓に並んでいた。
しかし、ひとり暮らしするようになってから料理本を見ると、プレーンオムレツが主流であった。
今、不安になって、一般的なオムレツをYahoo!知恵袋で調べた所、16回答中4〜5人くらいは挽肉派がいた。(質問者含む)

話はかわり、最近向田邦子さんのエッセイをよく読む。
その中にムムム!な内容が書いてあった。
とある夫人が、ポロ牛(うし)というオムレツを作られていたらしい。
そのオムレツは、完全に村田家のソレ(ソースをかけるところまで)と一致していて、邦子さんもよく召し上がっていたそうだ。

実家ごはんの出どころを知り、ちょっと家系のルーツを知ったような不思議な気持ちに…。
今、この先の未来に気持ちが向きがちだが、過去をさかのぼる事も非常に面白いと思った次第である。

ちなみに、このオムレツは簡単に作れて、とっても美味しいのでオススメ!
ちなみに2、向田邦子さんの話は『たっぷり派(霊長類ヒト科動物図鑑)』で読ませていただきした。


ピンクの皿が、うちのポロ牛!
この日に限って、挽肉たちを卵に混ぜず、挟み込む形でお送りしてしまった…。

20代の頃、引っ越ししたての家の洗面所で、洗いたての髪を乾かしていた。
時は22時過ぎであった。

その時、急に「火事です」とアナウンスが鳴った。私は驚いて、財布と携帯電話を持ち、一目散に1階に降りた。

他の住人たちも同じように慌てふためきながら、階段を駆け下りで来るだろうと思っていたのに、5分くらい誰も降りてこなかった。
サイレンは鳴り続けているので、やっぱり一大事は一大事。東京の人は、こんな時でも落ち着いているなぁと思った。

しばらくして、やっと1人また2人と部屋着姿の住人たちが降りてきた。
「なんでしょう怖いですねぇ」と話していると、そのうちの1人が「管理人室に行けば、サイレンの元になっている部屋がわかるはず!」と言い、男性住民数名が管理人室入っていった。(当時、施錠されていたはずだけど、どうにか開けたらしい)

「403だ!!」「急げ!!!」
皆が403に向かって走っていった。
私も彼らの後を必死で追いかけた。
403は私の部屋だった…


どうやら、その頃買ったばかりのハイパードライヤーの温風が、天井の火災報知器に当たって、それで鳴ってしまったらしい。


もう引っ越していますが、その節はご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。

↑20代の頃の写真!

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