お知らせ

一般的なオムレツと聞くと、どんなものを想像するだろうか。
村田家はいにしえの頃より、刻み玉ねぎと挽肉(塩こしょう)を、溶き卵に混ぜ、それを卵焼きのように焼き、最終的にソースをかけて終了のオムレツが食卓に並んでいた。
しかし、ひとり暮らしするようになってから料理本を見ると、プレーンオムレツが主流であった。
今、不安になって、一般的なオムレツをYahoo!知恵袋で調べた所、16回答中4〜5人くらいは挽肉派がいた。(質問者含む)

話はかわり、最近向田邦子さんのエッセイをよく読む。
その中にムムム!な内容が書いてあった。
とある夫人が、ポロ牛(うし)というオムレツを作られていたらしい。
そのオムレツは、完全に村田家のソレ(ソースをかけるところまで)と一致していて、邦子さんもよく召し上がっていたそうだ。

実家ごはんの出どころを知り、ちょっと家系のルーツを知ったような不思議な気持ちに…。
今、この先の未来に気持ちが向きがちだが、過去をさかのぼる事も非常に面白いと思った次第である。

ちなみに、このオムレツは簡単に作れて、とっても美味しいのでオススメ!
ちなみに2、向田邦子さんの話は『たっぷり派(霊長類ヒト科動物図鑑)』で読ませていただきした。


ピンクの皿が、うちのポロ牛!
この日に限って、挽肉たちを卵に混ぜず、挟み込む形でお送りしてしまった…。

20代の頃、引っ越ししたての家の洗面所で、洗いたての髪を乾かしていた。
時は22時過ぎであった。

その時、急に「火事です」とアナウンスが鳴った。私は驚いて、財布と携帯電話を持ち、一目散に1階に降りた。

他の住人たちも同じように慌てふためきながら、階段を駆け下りで来るだろうと思っていたのに、5分くらい誰も降りてこなかった。
サイレンは鳴り続けているので、やっぱり一大事は一大事。東京の人は、こんな時でも落ち着いているなぁと思った。

しばらくして、やっと1人また2人と部屋着姿の住人たちが降りてきた。
「なんでしょう怖いですねぇ」と話していると、そのうちの1人が「管理人室に行けば、サイレンの元になっている部屋がわかるはず!」と言い、男性住民数名が管理人室入っていった。(当時、施錠されていたはずだけど、どうにか開けたらしい)

「403だ!!」「急げ!!!」
皆が403に向かって走っていった。
私も彼らの後を必死で追いかけた。
403は私の部屋だった…


どうやら、その頃買ったばかりのハイパードライヤーの温風が、天井の火災報知器に当たって、それで鳴ってしまったらしい。


もう引っ越していますが、その節はご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした。

↑20代の頃の写真!

〜これまでのあらすじ〜
肉が苦手な主人公村田めぐみ。生まれてから小学校低学年までは、肉を食する事について全く意識していない至って普通の日々を過ごしていた。
ある日、肉が苦手な母から昔給食室で豚の解体を見たという話を聞き、
幼い想像力と話の衝撃波で、自身も肉が好きではない事に気づいてしまう。
必然的に肉ストライキ生活をスタート。
給食は、担任の先生によっては残す事をタブーとされ、焼き鳥や何者のうま煮(骨つき)などを食べさせられた。トラウマは増していくばかり。

高校生の時、東京旅行中、父と兄と恵比寿ガーデンプレイス内のマクドナルドに入り、バーガーを食べる事を強要された。そこに味方(母)はいなかった。
しかし食べたらとんでもなく美味しかった…。ひき肉を少し見直した(謎の立場から)。
さらには19歳で上京し、メロン記念日の斉藤瞳、大谷雅恵との同居生活中に薄切りベーコンについても、長所を発見した。
少しずつポジティブな発見があったが、やはり魚で事足りると思っていた。

…2019年。自身の体調不安定からタンパク質をもっととるべきと推察。
肉嫌い克服の旅に出たのであった。




そして、2022年。
その後、どうなったかというと…言い訳がましくも、コロナで外食ができず、焼肉のチャンスが…ごにょごにょ。
そう簡単には大好物にはなれなかったが、
身体の為に肉を買わせていただいている。

よく買うのは、豚コマ(赤身)、ひき肉、鶏ムネ肉、たまに牛肉薄切り肉。
いまだにベーコンのブロックは食べられない。
あと味が薄かったり、色味が白っぽい料理(例カオマンガイ)はさけてしまっている。
レバニラを何とか克服したい事を知った母から、以前レバニラの冷凍が送られてきたが、いまだに手をつける勇気が出せていないままである。

最近の好印象としては、まい泉のヒレカツ!
去年、あまり肉に関する新鮮なトピックスがない中で、断トツの優勝!

今年もまた、肉の運命的な出会いがあると信じている。

※写真は、ネパール料理のモモというもの。
揚げ餃子みたいでかなり美味しい!!

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