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【忠臣蔵を利用したテロ容認論の欺瞞性】

〜政治テロに天皇陛下を利用されないために〜
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江戸時代は幕府に仕える時代でしたので輸入思想である朱子学が奨励され忠義という精神の大切さを教えました。それは藩幕体制を維持するためにメリットがあったからです。
赤穂藩の大名である浅野内匠頭が江戸城内で脇差を使用して吉良上野介氏に傷害を負わせた事件で加害者となった浅野は、ルールに則り即日切腹となり、被害者とされた吉良はお咎めなしとなったことに不満を抱いた大石内蔵助らが吉良宅に押し入り暗殺をしたという事件です。

現代に例えれば、政府機関内で逆上して短刀を使用して恨みに思った政府要人を殺害し、その罰を受けて死刑となった犯人の部下たちが逆切れをして、その政府要人宅に深夜に押し入り暗殺をしたということになろうかと思います。
江戸時代の感覚では、これは忠義の素晴らしい行い、美しい武士道の姿として高い評価を受けたものと思われます。

しかし、これは仇討ちではありません。そもそも城内のきまりを無視して傷害事件を起こしたのは浅野内匠頭であり、被害者の吉良は無抵抗のまま短刀を抜かずに一方的に切り付けられたのであって、浅野内匠頭は吉良からは何も傷害は負わされていない一方的な傷害加害者ですから、ルールに基づき脇差も抜かなかった純然たる被害者の吉良を仇討ちするという考え方はすり替え理論であり、仇討ちの構成要件も成立しません。

また、よく言われているように吉良から意地悪をされて恥をかかされたという話は、以後の創作劇であって、大石内蔵助も何で主人が殺傷事件を起こしたのかわからなかったといいます。仮に意地悪をされていたと仮定しても、城内のルールを破り傷害事件を犯したのは浅野内匠頭のみです。喧嘩両成敗という理論も成り立ちません。一方的な加害者だからです。
当時の裁きはルールに則った正当なものであり、文句を言える筋合いではありません。

しかし、大石内蔵助らは忠義という大義名分で犯行に及んだわけです。

これが許されるならば、主人のために相手に逆恨みして犯行を犯すことも、それを忠義だという思想にすり替えれば、忠義を尽くした正義の志士と美化されます。
忠義だからといって何でも美化すれば良いものではありません。例えばヤクザの親分が別の組のヤクザと抗争を起こして、一方的に拳銃を使用して相手の組長に傷害を負わせた場合に、法のルールに基づいて警察に逮捕されたのを逆恨みして、部下のチンピラが相手の組長の自宅に深夜に追い入り暗殺したとしたら、ヤクザにとってみれば忠臣なのかもしれませんが、何ら綺麗なものでも正義でも何でもないのと同じです。
忠義を尽くせば犯罪行為も美化されて許される、賞賛されるなどは、現代では無条件に賞賛されるものではありません。

明白な犯罪である226事件や三島事件を天皇に対する忠義、義挙という思想にすり替えて、忠臣蔵と同じだと主張する頭のおかしな人もいます。

そもそも忠臣蔵は仇討ちではない。仇討ちの構成要件がありません。政治テロでもありません。復讐の構成要件もありません。
単なる私怨の逆切れです。
226や三島事件を止むに止まれぬ義挙などと美化することは、狂った美学に毒されています。なぜならそれこそがテロリズムの美学だからです。
テロリストの美学を美しいものと錯覚、正当化させるために、忠臣蔵や楠木正成や吉田松陰を利用して、あたかもテロリズムが天皇に対する忠義であると錯覚させようとする試みは悪質な天皇への冒涜以外の何ものではありません。
天皇陛下万歳という言葉を犯罪の正当化、美化に利用する人に注意しましょう。
自殺すれば美化されるという間違ったすり替え手法に注意しましょう。

この人の動画は的をついています。軽いタッチの喋りですが、内容は正論です。三島事件についての評価もご覧になってください。
前置きが長いので7分くらいら気になる方はご覧になってください。(神風特攻隊の話も出てきますが、この神風特攻隊の解説は一部間違っている所や、ちょっとずれているところもあります。それを差し引きしてご覧ください。)
また、この人の政治的思想的背景は不明です。




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