連続ツイート2341回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


フランシス・ベーコンの代表作のひとつに、ベラスケスの『教皇インノケンティウス10世の肖像』をモチーフにしたシリーズがあるけれども、この絵はローマにある。それで、ベーコンはローマに滞在した時期はあったのだけれども、この絵を実際には見ていなかったらしい。


ベーコンは、ベラスケスと同じような構図で教皇を描き、ただその教皇が恐怖なのか存在不安なのか感情の激流なのか何かにかられて叫んでいる絵を描いた。そして、その絵は、実物を見たわけではなく、「写真」を見て描いていた。


確か、フランシス・ベーコンのアトリエには、大量のシャンパンの空き瓶とともにベラスケスの教皇の絵の写真があったんだと思うが、とにかくそのような複製品を見て、インスパイアされて、ベーコンは絵を描いた。逆に言えば写真で十分だったのだ。


ベンヤミンは「アウラ」ということを言って、私たちは「ほんもの」というものを過大に評価しがちだけれども、だけど、創造というものはもっと自由で、とらわれていなくて、写真一枚からも芸術は再生される、ということを考える上で以上のフランシス・ベーコンのエピソードがぼくはとても好きだ。


小林秀雄が道頓堀を歩いていて、突然モーツァルトの40番ト短調のシンフォニーが耳に響いたところから始まるエッセイ『モオツアルト』(昭和21年)を書いた時点では、小林秀雄はおそらくSP盤くらいしか聴いていなくてウィーンフィルの生演奏などは耳にしたことがなかったはずだ。


複製でも、ノイズだらけでも、粗くても、本質は変わりがない。そう思って自由や創造ということに向き合うことで人は精神の潜在的力を十全に発揮できる。フランシス・ベーコンや小林秀雄のようにすればそこには自由の大空がある。


以上、連続ツイート2341回「フランシス・ベーコンや小林秀雄のようにすればそこには自由の大空がある」をテーマに6つのツイートをお届けしました。

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