連続ツイート2338回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


モーツァルトの音楽については、いろいろな考え方があるだろうが、私はその「根本感情」が美しいと感じている。作曲の技量や、構成力とか言ったことはもちろんだけれども、モーツァルトは基本的にやさしい人であり、善意の人であり、その純粋さが地上離れしていてそれが音楽に現れている。


ぼくがモーツァルトで一番好きな曲の一つが「フルートとハープのための協奏曲」だけれども、この曲に流れている根本感情が、あくまでも光に満ちていて、生きることのよろこびがあふれて、その純粋なイデアが音楽として物象化されていることが奇跡だと思う。


モーツァルトの実際の生涯が善意やよろこびだけであったはずがない。モーツァルトがパリに滞在中にお母さんが亡くなって、それを遠く離れた父に伝えるとき、父にショックを与えないようにと、まずは母が病気になりましたと手紙を書いて、その少し後に実は亡くなりましたと伝える、そんな気遣いがある。


しかも、この母親が亡くなったパリ滞在中に、その直後に書いた曲が悲しみやつらさといったことを一切感じさせないような突き抜けた明るさに満ちていて、そのような、現実の人生で何があってもその痕跡が音楽に残らないという根本感情の揺るぎなさがモーツァルトの曲にはある。


モーツァルトの曲の非凡さの本質はその根本感情にある。そしてその根底には「批評性」がある。『後宮からの逃走』で、異教徒の間の対立で終わってしまいそうな劇の展開を、突然「解放と愛」という別の次元を入り込ませてしまって、歓喜と浮遊の中に終わらせるあたりも、現代に通じる批評性を持つ。


モーツァルトが死の直前に書いた「Ave verum corpus」に至っては、2分くらいの短い曲だけれでも、内側から満ちあふれるような光と生のはかなくもかけがえのない意味に満ちあふれていて、根本感情が純粋化されて宝石となりゆらぎつつも光を放つような、そんな気配に満ちている。


今朝、なぜ、こうやってモーツァルトの作品を大急ぎで振り返りたくなったのかよく自分でもわからないけれども、表現にかかわるものは、作品には必ずそれを生み出す際に自分の中にあった根本感情が顕れてしまうものだということを自覚したいと思う。根本感情が作品を通して世にさらされてしまうのだ。


以上、連続ツイート2338回「モーツァルトに学ぶ、根本感情の大切さ」をテーマに7つのツイートをお届けしました。

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