連続ツイート2317回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


小津安二郎監督の『麦秋』で、原節子が演じる「紀子」が、家に帰ってきて、なんのためかわからないけれどもやかんを持って階段を上っていくところを横からとらえたシーンがある。おそらく紅茶かなにかを入れるのだろう。


紀子が、やかんを持って階段をのぼる。そのシーンは、『麦秋』の中で2回か3回くらい出てくるのだと思うが、何気ない、取り立てていうことのない日常を描いていて、そのことを紀子自身もおそらくは意識していない。


それが、映画史に残る、あの杉村春子演じる「お母さん」が息子のために紀子との結婚の交渉をして、それを紀子が突然受け入れてしまうという展開の中で、やかんを持って階段をのぼるという紀子の日常は、失われてしまう。家族のかたちもばらばらになって、二度と戻ってこない。


小津安二郎の映画は、常に、何気ない日常の底光りする味わいを描く。ずっと続くように思われるけれども、実はいつかは終わる。小津は、とりつかれたように、家族の日常が終わる様子を描き続けた。それはホームドラマであって、ホームドラマを超えたプラトン的イデアであった。


紀子がやかんを持って階段をのぼっていくあの数秒のシーンが、私たち人間にとってかけがえのない日常のありようを描いている。私たちはせいぜい100年この地上にいるだけであり、その間にも人生の様相はどんどん変わっていく。日常はある意味では修行であり、芸術的天上に至る道でもある。


以上、連続ツイート2317回「『麦秋』で、紀子がやかんを持って階段をのぼっていく時に立ち上がる日常の輝き」をテーマに5つのツイートをお届けしました。

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