969回


ふなつしー さん


茂木さん、こんにちは。

実は先日、有楽町での茂木さんと山根さんの対談を拝見させていただきました。
テーマの跳躍とダイブを繰り返す感じがとてもエキサイティングでした!

今日の質問(というか、またしても感想になってしまうかも)させて頂きたいのはシンギュラリティなるもの
についてです。

特異点がどんなものであり、何を引き起こすのか?については様々なスタンスと意見があるとおもいますが、

人工知能が私たちの生活の中で
蔓延、浸透していくことは間違いないのかな、というのが素人ながらの感想です。

私が今感じているのは、
そういう環境に置かれることを
これから我々はどのように捉えて、その先を見据えるべきなのか…ということです。

人工知能的なものが、私たちの様々な機能や労働力などを代用的に占めていくことについては、感覚として

「ところてん」と

として捉えてみると、面白いのではないかと思ってしまいました。

言語の獲得や産業革命など、パラダイムシフトが起きた時に、人間はそれまでプリミティブに(個別に)自前で頑張ってきたものを、あらたな機能、システムに代替されることで、

別のタスクに取り組むようになってきたのだと思います。
しかし取り組み始めた新たなタスクが、時代遅れな無味乾燥とした冷えて固まったものになる時に、またあらたなシフトが起きる…というのが歴史の経験則なのではと思っています。

私が問題にしたいのは、
こういったシフトが萌芽し始めつつある時に、その事実を善悪や上下、左右の分断といったシリアスな感覚下でしか捉えられなくなっている空気だと思います。

そういうった空気に対するアンチテーゼや、押し出された我々が持つべき偶有性へのワクワクとした初期衝動をもう少し今の世の中が持ってもいい気がします。

もし茂木さんが
愛のある批評として
コメディの要素を使いつつ
今の時代に一言の比喩を
投げかけるのであれば
それはどんなものになるのか。

お聞きしたくなってコメントさせていただきました。

暑い毎日がつづきますが、体調など崩されませんように…。


ご回答。


シンギュラリティに関して言えば、もともとのI.J.Goodの論文の定義、すなわち自己改善する人工知能という定義にのっとって考えるのがよいと思います。それが人類にとっての「最後の発明」になると。


「ところてん」モデルはある程度の妥当性を持つと思います。

人工知能と人間のレースをアキレスと亀にたとえるのも良いかもしれません。


おっしゃるとおり、亀には愛とコメデイが必要ですね。


ぼくが回答があるというより、ふなっしーさんのように考え続けられることが大切なのではないかと思います!

nounandemo
 
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