連続ツイート2295回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


現代アートの本質のひとつは「批評性」ということだけれども、それは必ずしも政治的だとか、「批判的」だということではない。もちろん、批評性には政治性も含むが、それに尽きるわけでも、支配的な部分であるわけでもない。そして、最後にはある姿に落とし込まれていなければならない。


印象派が出てきたとき、最大の批評性のひとつは、その方法論にあったはずで、つまり筆の跡が残っているということ自体が当時の美意識からしたら「描きかけ」というか手抜きのように見えた。だけど、たとえばモネの日傘を差した婦人で、ぱっぱっぱと描いた後ろに立っているアンパンマンみたいな人を


少し離れて見ると、全体として心を動かすふしぎな光景になる。アートにおける批評性とは、つまりは無意識の前提を問い直すことで、印象派が出てきた当時の、絵画に関するさまざまな前提を問い直し、揺るがすことが批評性の核であった。すぐれたアートは、私たちの認知を更新する。


アートの批評性が、私たちの認知を更新するとしても、その更新には時間がかかる。したがって、あるアートを前にして、衝撃を受けたり、強く印象を残したりしたとしても、その意味は、すぐにはわからない。だから、心の中で何かが起きているということ自体を留意して、とりあえずは停止するしかない。


アートに対する反応のうち、反射的なものが最も生産性が低い理由は、以上のような批評性の私たちの認知プロセスの更新にかかわるダイナミズムの時間的スケールと関連する。とりあえずは判断を停止して、心の中に留意して初めて始まる脳内過程がある。それが言語化されるまで待つしかない。


美術展を見たときに、作品の感想とかを必ずしも直後に言ったり語り合う必要がないのは、アートの認知処理には時間がかかるからだ。ただ、あの作品が気になった、なにかがあると感じた、ということでよい。あとはずっとゆっくりと感じて考えていけばよい。


たとえば、もう10年くらい前になるのか、原美術館で見た、ゲルハルト・リヒターの「舟遊び」をテーマにした絵画はずっと忘れられなくて、その意味はよくわからないけれども、今でも時々思い出している。アート作品との付き合いは、それくらいゆっくりで良い。即断すると、肝心なプロセスが失われる。


以上、連続ツイート2295回「アートの批評性は、長い時間をかけて熟成しないとわからない」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

連続ツイートまとめ.png