連続ツイート2250回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


何か重大な事件があって、その犯人のご家族が「謝罪」のようなコメントを出される時に、「成人」した人の犯罪にいちいちご家族が謝罪するのはおかしい、というような声が上がることがある。確かにそうだと思うけれども、「成人」でくっきりと分かれるわけでもないと思う。


未成年の育み、監督は保護者がやるものであるという法律上の見地から、未成年がおかした犯罪については保護者に(法的)責任があるという議論はあると思うけれども、実際には未成年がどのような人格形成をするかに親の影響はもちろんあるが、それがすべてではない。


未成年の非行、犯罪について、親の教育が行き届かなかった、というケースも統計的にはあるかもしれないけれども、親にもどうすることもできない因果的発展でそうなってしまったというケースもあるはずで、未成年ならばすべて親の責任だということは(法的責任をのぞいて)実際にはない。


逆に、成年した後、法律的には独立の人格になった方がおかした犯罪でも、親としては、子ども時代をふりかえって今までどうであったというような感慨はあるはずで、法的に成人したからと言ってその感慨が消えるわけでなく、「謝罪」というかたちでなくても何かコメントを出したい時もあると思う。


未成年か、成人かということは法的な責任論に過ぎず、生育の過程でのもろもろはそのような人為的な境界と関係なく続いていて、そのあたりの心の機微、というかあやのようなものをみんなが感じているから、いろいろな議論がおこったりするのは人間として自然なことだと思う。


問題は、メディア側が、一種の「型」として犯罪をおかした人の親御さんなどにコメントを求めたりすることで、そういうことはしてはいけないと思う。ましてや、親御さんの社会的地位で扱いが変わるとか、そういうことはメディアの報道姿勢として決定的におかしい。


つまり、このような問題は、法律論で決まるわけでもなく、メディアの型にはまった報道で決めつけるわけでもなく、ごく自然な人としての心の動きに寄り添ったかたちで、みんなが関心を持って、必要ならば語り合ったらよいのではないかと私は考える。


以上、連続ツイート2250回「成人した方の犯罪に、親はどうコメントすべきなのか、すべきではないのか」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

連続ツイートまとめ.png