芸術監督として、あいちトリエンナーレ2019でジェンダー平等を実現しようとする津田大介さんの方針に対して、反対、批判の意見を含めさまざまな議論が行われているようです。


現代アートの展覧会として、このような対話を巻き起こすこと自体に価値があると考えます。


津田さんが指摘している、美術業界におけるジェンダーの不均等という現象は、その背景にさまざまな要因があるものと思います。


大切なのは、そのような現状であるということを認識することではないでしょうか。


「あいちトリエンナーレ2019」で、津田さんが打ち出された方針をきっかけに、この問題に注目が集まり、さまざまな議論が起こることは有意義だと思います。


その際、必ずしもすぐに社会的合意が起こる必要はないと思います。


津田さんの方針がやりすぎだと感じる人がいても全く構わない。


議論を通しての合意形成のプロセスのど真ん中に「あいちトリエンナーレ2019」が位置するとしたら、それはアートフェスティヴァルとしては最も成功したかたちと言えるでしょう。


国際的なニュースのheadlineとしても、ジェンダーの平等を打ち出すのは戦略的に有効、正しいと思います。


さまざまな議論が起こっていること自体が、意味のあることだと言えるでしょう。


もちろん、アートとしての作品の価値は、ジェンダーという要因だけで決まるものではありません。


ジェンダー平等を実現しつつ、作家の選択をするのは難しいことで、そこに津田さんのご苦労があったのだと思うし、その結果がどう評価されるか、「あいちトリエンナーレ2019」の展覧会場で真価が問われるのだと思います。


もともと、現代アートは批評的、論争的な機運と切り離せません。


今回の津田さんの「あいちトリエンナーレ2019」での問題提起、それによって起こるさまざまな対話のプロセスそのものが、現代アート的だと言うことができるでしょう。


その点を含めて、私は今回の津田さんのディレクションを支持するものです。


(クオリア時評)


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