いじりとかが笑いの文化の一部としてあるのは多様性としてありかとは思うけれども、それがすべてになるとなんだかなあと思う。


いじりが笑いとして成立するのは、それだけ日本の社会が均質で(そうであることを前提にしていて)、みんなが同化圧力を感じているから、そのことで不安になったり恐怖さえ覚えたりして、だからこそネガティヴな感情をのりこえるためのツールとして笑いが出てくる。


ここまでは一応合理的とは言えるのだけれども、それがすべてになったり、他の笑いの文化を排除するようになるとまずい。


宇野常寛さんが怒ったのは当然で、宇野さんの感性は尊重されるべきだった。だって、それが多様性だから。


均質の日本の社会を前提に、これがメジャーだ、これがおれたちの笑いだ、それがわからないお前たちはセンスが悪いとかノリが悪いとか押し付けてくるのはいかがなものか。


センスがいい悪いじゃなくて、単にクラスターが違うだけだと思う。


どちらがどちらよりも上だとか下だとかないけれども、どちらも、どちらに合わせたり付き合ったりする筋合いもない。


そんな当たり前のことを、残念ながら繰り返し確認しないといけないのかと思う。


(クオリア時評)


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