連続ツイート2162回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「菅官房長官にお声がかかった件について考える」について。


沖縄で行われた翁長さんのご葬儀で、菅官房長官が弔事を述べられ、そのあと献花された際に参列者からお声がいろいろかかったと報じられている。動画で確認すると、弔事をおっしゃっている間にもいくつかかかったが、終えられた後にお声が大きく、多くなったようである。


稲嶺元知事が、「静粛であるべき場ではあるが、気持ちはわかる」とおっしゃっていた。ポイントはここだろう。礼儀としてどうか、ということもあるが、何よりも、気持ち、感情の問題として、菅官房長官にお声をかけたくなったのである。


政治家として、ましてや、中央と沖縄という関係の中で、気をくばるべきことは礼儀の問題よりも、人々の生の声、その背後にある気持ちだろう。だから、菅官房長官はお気の毒であり、不本意でもあったろうが、その際にかかった声の背後にある沖縄の気持ち、感情を受け取るべきだろう。


菅官房長官が代読された安倍首相のメッセージ自体は、その文字をたどれば立派なものだった。「沖縄の方々の心に寄り添い」という趣旨の文言もあった。それでもあのような声がかかったのは、今までの中央政府の姿勢が、いわば、そのような言葉とは真逆だったからだろう。


菅官房長官の「沖縄の方々の心に寄り添い」という言葉を素直に受け取って「頼むぞ!」「待っているぞ!」「いよっ、官房長官!」「日本一!」といった声がかからなかったのは、「そんなこと言って、またどうせゴリ押しでくるんでしょう」という不信感があったからにほかならない。


本当に沖縄の方々の心に寄り添う気があるんだったら、既定路線に従ってゴリ押しするのではなく、真摯に話し合って、アメリカにも掛け合い、たとえば菅さんや安倍さんが沖縄に入ってタウンミーティングすればいい。そうする気がどうせないだろうと思われているから、あのようなお声がけになる。


今回菅官房長官へのお声がけについて、礼儀に反する、不謹慎だといった反応があるが、これほど物事の本質を外した論はない。社会的変化は、礼儀だとかそういうことをとっぱらった感情のやりとりによってしか生まれない。アメリカ公民権運動の歴史を見よ。日本における「礼儀」は単なる思考停止である。


以上、連続ツイート2162回、「菅官房長官にお声がかかった件について考える」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。


補足。ましてや、お声掛けをされた方々が「プロ市民」だみたいな揶揄に至っては、笑止千万。日本の一部の型の思考は自分で感じ、考える気配がゼロの「テンプレ」化しているようだ。


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