共謀罪が、可決成立した。

ここまでの経緯については、多くの人が指摘しているように随分と乱暴で、齟齬があったし、また、立法論としても欠陥だらけの法律で、果たして日本がどのような方向に行くのか、私も強く懸念している。

さて、今日考えてみたいのはこの経緯に見られる日本人の「従順さ」である。

今の日本で、格差の是正や、イノベーションをうながす規制緩和、教育の抜本的見直しといった重要課題に比べて、共謀罪に政治的なリソースを割く意味は、私には全くわからない。

ただ、人間の認識、思考は多様だから、共謀罪の成立に政治的リソースを割くことに価値がある、と考える人がいる、ということはあるだろう。

問題なのは、その周辺の人たちの「従順さ」である。

共謀罪を新たに設けることに意味がある、と考える人たち自身には、今回の法案のような精緻な条文をつくりあげる能力があるとは思えない(というか、おそらくない)。
つまり、実際の条文を書く人たちは、官僚などのテクノクラートであろう。

彼らは、大学で法学教育を受けてきたわけだから、今回の共謀罪が、日本の刑法体系を根本から変えるものだということを当然知っている。

法案として出来が悪い、ということくらいわかっている。
それでも、「上から」指示されたら淡々と法案を書く。
この従順さは、世界どこでも、組織の中で生きる人間の共通の性質と見ることもできるだろうが、日本の場合、その従順さに磨きがかかっている。

一方、以前から指摘している、議員一人ひとりの資質の問題である。

議員の中には、法学教育を受けた人たちもいるだろうし、弁護士もいるだろう。
また、法秩序と市民の自由について見識を持った人たちもいるだろう。
その彼らが、所属政党の今の執行部が方針を決めたからと言って、その方針通りに投票するという「従順さ」を示すことに私は以前から違和感を表明し、代議制の本質に反すると指摘してきた。

与党からも法案に反対する人が出るし、場合によっては野党からも法案に賛成する人が出るのが普通だと思う。

特に、今回の共謀罪のように、刑法の体系を根本から書き換える法案については。

実際の条文を書くテクノクラートたちも、議員たちも、皆「従順」に動いている。

テクノクラートたちはそのようにして職責を果たしているのだろうし、議員たちはそのようにして自分たちの地位を確保しているのだろう。

このような「従順さ」の文化は、破壊的イノベーションに必要なdisobedience(不服従)の文化と大いに異なる。

そして、私は、この「従順さ」こそが、日本の陥った最大の罠だと考えている。

なぜならば、従順さは部分最適をもたらしても、全体最適に向かう摂動を消してしまい、社会の発展を妨げるからである。

この従順さは、結局、日本の教育に起因するものだけに、その是正には長い時間がかかる。

一つはっきりしていることは、この従順さと、イノベーションを起こせない、それを社会に定着できない現状は、表裏一体ということだ。

現政権が経済成長の「第三の矢」を結局打ち出せないでいるのも当然だ。

従順さと、経済成長に必要な自由競争やイノベーションとは、真逆である。

後者を特徴づけるのは「不服従」だからだ。
与党と野党が常に拮抗して政権交代の現実的可能性がある国に共通しているのは、「不服従」の文化があることである。
それがない日本が、また、政権交代の現実的可能性のない疑似民主主義に後退していくこと(そしてそのような現状を肯定する「民意」があるということ)は、仕方がない動きなのだろう。




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