「地上波テレビは1秒も見ない」とふだん公言している私だけれども、もちろんそれは一つのレトリックであって、面白い番組は時々見ることもあるし(例えば半沢直樹)、スポーツ中継は好きだし、朝の時間帯は、テレビでNHKのニュースをつけていて、音声はBBCのRadio 4を聞きながら仕事をしている。
時には、音声もNHKニュースにして内容を確認することもある。
そのような状況なので、NHKの(特に朝の)ニュース報道の項目や、その項目をどれくらい長く流しているかはかなり把握しているつもりだけれども、北朝鮮に関する報道の浅さ、画一性にはいささかうんざりしている。
北朝鮮のミサイルは脅威だし、その政権には大いに問題があると思うけれども、ミサイルが発射される度に、NHKがまるで一つの「型」のように同じ映像で同じ構成の「ニュース」を流し続けるのは、報道機関の姿勢としてどうかと思う。まるである「キャンペーン」のようで、およそ批評性がない。
NHKニュースが、北朝鮮というと、キムジョンウン氏が拍手したり、視察したり、軍事パレードの「映像」ばかり流す印象操作も、バランスを欠いていると思う。人口2500万人の国の多様性に対する想像力がない。このようなレッテル張りは、認知的な怠惰である。非常に残念に思う。
北朝鮮の内情を描いたドキュメンタリーは外国ではよくあるが、A state of mind (2004)はマスゲームに参加するために練習する少女を追った英国の作品。どんな体制でも、人々はたくましく生きている。当たり前の話だが。
他にも、北朝鮮の内情を描いた作品はいろいろある。north korea documentaryで検索すればいい。英語が苦手でも、画面から雰囲気はわかるだろう。
「独裁国家」などというレッテルを超えて、他国の生活の多様性を想像するのは、人間として当然のことだと思うし、平和にもつながるし、ある種の抑止力にもなると思うけれども、そのようなある種の理想論から離れて、マキャベリ的な戦略知性、という視点から見ても、NHKのニュース的な北朝鮮観には大いに不足がある。
「仮に」北朝鮮が危険な仮想敵国だとしても、最高指導者の映像や軍事パレードだけで印象形成する「公共放送」の国と、BBCのように多角的に報じようとする国では対応の強靭さが違ってくる。日本は愚かなモノカルチャー押しで、生命のしなやかさを失っている。過去の歴史でも似たことがあったことは、記憶に残っているところだろう。
アメリカや英国と戦っていた時、「鬼畜米英」などというキャンペーンを行い、「敵性語」という言葉の下に、英語を排斥しようという愚かな行動に出た。
戦争はあってはいけないが、かりに戦争をしていたとして、「敵」のことを知ろうとするのはインテリジェンスとして当然のことであり、自分たちの戦っている国が、戦争中であるにもかかわらず『風とともに去りぬ』(1939年12月15日、つまり真珠湾攻撃の1週間後に公開)や『カサブランカ』(1942年公開)といった映画をつくっていて、それを人々が観ている、ということを含めた文化的背景がある、と知っていたら、戦い方が変わっていたかもしれないし、そもそも戦わなかったかもしれない。
NHKのニュースの北朝鮮関連の項目の編成のモノカルチャーを見ていると、物事を単純かつ稚拙に考えることであたかも団結しているかのような幻想を抱くという、この国の時に致命的な脆弱性は本質的に変わっていないと思う。
きわめて遺憾である。
ニュースにおける批評性とは何か?
たとえば、キム・ジョンナム氏がディズニーランドに行くために日本に来たとき、なぜ日本の政府は「泳がせて」黙認しなかったのか。それ以前にも頻繁に日本に来ていたとされている。すべてを認知し、情報を収集しながら、教育程度も高くリベラルだと伝えられるキム・ジョンナム氏を、北朝鮮の後継者と体制変革の「カード」として温存しなかったのか?
わざわざニュースで騒ぎ立て、顔まで晒して、北朝鮮の後継者レースから脱落するような愚かなことをしたのか(英国だったら、MI5やMI6の連携のもと、もっとうまくやっていたろう)。
結局、この時の日本政府の稚拙な対応が、今年キムジョンナム氏が暗殺されるに至る歴史の伏流になっているわけで、毎日のニュースで、そこまで精しく分析せよ、とは言わないけれども、すくなくとも歴史を一つの流れとして俯瞰する意識をニュースの報じ手が持っているかどうかくらいは、伝わってくる。
そのような意味で、NHKのニュースの北朝鮮報道は、あまりにも刹那的で、報道機関としての責任を果たしていないと思う。
もっとも、NHKもいろいろ事情があって大変だろうし、現場の方々も、さまざまな「忖度」や、「様式に関わる慣性の法則」に従って、グローバルに見たベストではないが、ローカルに見た最適化として日々のニュースを流しているのだろうから、そう簡単には変化できないだろうし、変化した時には我々にとってはもう遅い、ということになりかねないから、受け取り側が工夫して自衛するしかない。
NHKや民放がいかにモノカルチャーでも、今の時代、ネットにいくらでも多様な素材は転がっているんだから、自分で検索すればいい。地上波テレビは、ぼくの感覚では全情報量の1%以下に過ぎない。今の時代、自分の主な情報源が日本の地上波テレビであるというのは、単なるリスクに過ぎないと思う。
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IOTA Kaiさん
再度、失礼します^^*
昨夜は、眠気に勝てず、薄いレスになってしまいました。朝型人間なので、夜遅いと思考が鈍ります、、。せっかく、気持ちを語ってくださったのにと思い、今一度、書きます。
ぼくはTwitterなど、ほとんどしませんが、短文が逆に苦手で(笑)、やろうと思えばポンポン出ますが、なんだか、詰まらなくなってしまう。ポンポン出す短文であるからこそ、即時的な感情のみがブースされていく。印象論なので、深く思ったわけではないですが。
ですが、IOTA Kaiさんのお話しをうかがいますと、その場で生まれる感情で分別が始まり、分析が集るという流れがみえます。そうすると、おおよそ感情に訴えかけたポピュリストが、巧みにラベリングをし、ラベリングに個を回収してしまおうとする。。。
アジテーター=オピニオンリーダーが、多様な感情を連結する装置になってるようですが、良きリーダーであれば、たとえば、悪い政権を転覆させたりもできるでしょうけど、その逆も、半分ずつあるような気もしました。
インターネットは玉石混交(ネットだけではないでしょうけど)なので、玉と石を見分けて、うまく付き合えるようになれたら、良いのかもしれません。と、ぼくは思っていますが。。
個人の意見や主義を、個別の案件に立ち上げるべきだとぼくも思います。茂木さんはよく、「プリンシプル」を口に出されますが、「政治家が悪い」「市町村が悪い」「先生が悪い」ではなく、「まず自分がしっかりする、これがスタートライン」といった信条です。。
誰かが決めるものではなく、一人ひとり違っていてもいいのです。それを持っている人間がいかに強いことか。国がひっくり返っても、自分自身にしっかりした美学があれば揺るがない、ぶれないといった考え、この方向で学びをされたら、良いとぼくは思います。
茂木さんに学んだ最大の学びは、プリンシプルです。といったら、誰かに笑われそうですが。。お互い、精進しましょう。。(偉そうに言ってしまって申し訳ないですが。。) 意見が違うのが、当たり前ですもんね。。
政治に強く関心を持つことは、素晴らしいことです!!! 気が向いたなら、またここでお会いしましょう!またも、長文失礼致しました。
IOTA Kaiさん。ご丁寧に、返信をありがとうございます。切り口を少しずつ、ずらしていくには、謙虚というか冷静さが大切なのかもしれませんね。こちらこそ、良い勉強になりました。
私の方こそ、かなりの長文を書いてしまって、お付き合いくださり、感謝します。。
こういう場があり、良かったと思います。おやすみなさい。。
AFXさん。コメントありがとうございます。自分がまさに言いたかった事をここまで端的にかつ綺麗にまとめて下さるとは…脱帽しました。
やはり、切り口が問題なのです。今の社会では特に切り口が画一的なものになっている印象を受けます。ツイッタなどでは特にそうです。少し、政府寄りなツイートをするとネトウヨと書かれ、政府に反対するツイートをするとパヨクやら反日やらと書かれます。さらにひどいのはどちらのツイートをしている人には冷笑系との烙印を押されます(私は冷笑系はネトウヨと親和性が高いと書かれまして、非常に残念に思いました)。さらに言えば、どちらも利点ばかりを見ている所があります。例えば、北欧の就業形態を日本は見習えと言っている人は北欧の消費税率をご存知なのでしょうか(大体25%付近です)…。それを政府がやったらこう言うのでしょう「消費増税反対!」と。もちろん、日本には言論の自由があります。何を言ったって言いのです。しかし、余りにも客観性を欠いていないかということなのです。
その点でAFXさんがおっしゃった「切り口」が重要な意味を持っていると私は考えます。色々な切り口を考え、色々な意見を聞いて、できるだけ客観的に考えることがこの情報化社会の中で大事なのではないかと私は考えます。
本記事に全く関係がなく、そして長文になってしまい、申し訳ありませんでした。
仰る通りだと思います。
ありがとうございます。。
しかし同じアジア人として、ドイツ、フランス、、、EUを保持している。。
この事はおおいに見習うべきです。。
そして、北朝鮮の国民の方々の実状と真実を知るべき。。
戦争体験も無い我々は、先人の教えに深く耳を傾けるべきです。
宇宙からみたら、国境は無い。。。青く美しい星です。。
@iota_kai07734
IOTA Kaiさん。。
おはようございます。目覚めたら、なにやらな興味深いコメントがあるので、少し思うこと書いてみます。包括的対外情報機関とともに、軍備及び自衛権(安全保障面)の戦後の在り方が、これも機能分割していますので、ちょうど敗戦国の日独を比較していくと(深く変遷を書けば長くなりますでしょうが)、(これまでのと)これからの、対諜報、対テロ問題が対岸の火事(大陸側と海洋側といった皮肉というか意味での)ではなくなるため、尽きない案件がでそうです。
戦後両国の復興および推移は、経済的(工業発展として)には共に相関した雰囲気を持つのに対して、安全保障面に関しては、日本は揉まれずにきたためか?随分と、溝が出来てしまったと思うので、IOTA kaiさんの仰られるように日本とドイツの相似点と相違点を、切り口として論考すると、地理的特徴や地政学とともに、第一次大戦の戦後からの経緯も込みで蒸し返しながらの(俯瞰しながらの)、個人的には「切り口」の提起として大切だと思いました。
リテラシーを考えていくうえ、ぼんやりと俯瞰でなく、「切り口」を持つべきだという事例を示していただいた気がしましたので、少しばかり書き連ねてみました。。
そして、茂木さんの仰る"毎日のニュースで、そこまで精しく分析せよ、とは言わないけれども、すくなくとも歴史を一つの流れとして俯瞰する意識をニュースの報じ手が持っているかどうかくらい"を受けとる側も意識せねばなりません。もはや、ニュースの責任にしている時ではないのかもしれません。。レトリックとして、「1ミリも見ない」というのは、そういう意味(警鐘)なのでしょうね。。。^^*
そして、重箱の隅をつつくようで恐縮ですが、公的にはMI6というものはありませんよ。SISというものが正式名です。BBCなどを見ていらっしゃるので当然ご存知かと思いましたが。茂木先生がジェームズ・ボンドがお好きならば、分からなくもないですけれど。
「武士道(新渡戸稲造)」「茶の(岡倉天心)」「代表的日本人(内村鑑三)」などは米国で当時ベストセラーとなり、のちの米国内の日本文化研究の鍵となるドナルド・キーンはこれらが無ければ、生まれなかったでしょう。
外伝として、JFケネディが来日した時「上杉鷹山」を口に出したとき、当時の日本メディア陣は日本人でありながら、その名を知りませんでした。それは、ケネディが「代表的日本人」の愛読者だったからです。
福沢諭吉、夏目漱石ら教養人が、異文化に対し異聞と敬意が旺盛に臨むころ、日清戦争から日露戦争に差し掛かると、傲り昂る族(やから)が横行し、大差修正されず蛮行に流れたことはあったと思います。物資に負けたとひとは言うけれど、これは、精神(知性)に負けた面も大いにあると、ぼくは思いますね。まさに、相手を知ろうとしなかった側面です。
戦争の勝敗をいうのではないのです。相手を知ろうとしないことが、愚かで自らの価値も下げるということですね。スポーツに喩えたならよくわかるでしょう。そして、日本人だからでなく、たとえばムスリム信者に対してのキリ スト信者などの目線などもふくめると(オスマン帝国崩壊工作から未だにつづく)、ボクら人間が陥りがちな、「上から目線」のリテラシーがあるんだと思います。自戒の念を大いにこめて。。です、もちろん。。。
仕事減りゃしないか心配しちゃいます。
貴重なご意見を ありがとうございます🐈
失った「子供時代」を取り戻したかった。。
正男氏もきっとそうだったのでしょう。
茂木先生の仰っるように、
「もし、ディズニーランドに→→」
この事を以前から「発信」されておられる。。
本当に素晴らしい方です。。
世の中の事は、、全て単純な事で「勃発 。。修復。。解決」するような気がします。 ありがとう😃