LOVEさん

茂木健一郎先生へ 

高2 女です。よろしくお願いします。

先日、『学習障害という区切りについて』で記されていたことについて。発達障害という診断があったとしても、必要以上にそれを絶対視したり、自分や他人を、それによって決めつけることはうめてください。そのような態度は、発達のためにかえってよくないと同時に、科学的にも真実から遠ざかることになってしまいます。ということですが、この考えについては、自称典型的人間の方々についても、同じことだと思います。そこを詳しく説明すると、普通が一番!と言ってる方々をよく見受けられます(私の高校にもいます)。そういう方々は、自身に普通というレッテルを貼ります。それによって、自身の発達を妨げてるように私は思います。また、自称典型的人間の方々は、普通(典型的)の本当の意味を理解していないようにも思えます。 

これらについて、茂木健一郎先生はどのように考えられますか。お忙しいとは存じますが、回答してくれますと幸いです。よろしくお願いします。

ご回答。

うーむ。

鋭いことを考えますね。
普通、= 典型的(typical)という言葉は、認知科学の世界でも案外無反省に使われていて、イメージとしてはガウス分布の真ん中あたり、みたいなニュアンスなのだと思いますが、実際にはその中にも無限のバリエーションがあるかもしれず(またあるはずで)、そこを無反省に、「普通」とひとくくりにしてしまうと、自分自身のかけがえのなさに気づかないし、また、非典型な人に対する感受性の欠如、もしくは攻撃性にさえ通じるかもしれません。
ご指摘のとおり、「普通」ということばは、無反省に使うべきではないと思います。


nounandemo

 
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