自分を支えてくれる母親のような安全基地、その内部モデルが、逆に差分を通しての他者理解につながるというプロセスは、他者との関係における共感と違和感の働きについても、示唆的である。

私たちは、他人との共感を通して、自分の壁をやぶることができる。共感は、やすやすと自我の壁をこえて、他者との間に橋を架ける。その橋を通してさまざまな情報が入ってきて、結びつきができる。

共感を通して架けられた橋を通して、私たちは他者の中で起こっていることと、自分の中で起こっていることを参照できるようになる。そこには、自分と他人が一体となった、始原的なよろこびがある。しかし、それは永遠には続かない。

共感の架橋は、いつか必ず他人との差異を認識させるイベントを招く。子どもが安全基地である母親との差異、違和感を感じる瞬間に、他者理解が始まる。最初に共感があってこそ、違和感のもたらす他者理解が効いてくるのである。

いわば、違和感は共感から始まった他者との結びつきにおける「独立宣言」であり、安全基地を与えてくれる他者に対して違和感を感じることができてこそ、初めて自分の道を歩むことができる。子どもにおける母離れである。

大人になってからも、「信頼していたのに裏切られました」「そんな人だとは思わなかった」と言う人がいるが、これは、違和感による自己確認をしているのである。共感する他人でも違和感を抱くのは当たり前で、だからこそ独立した自分なのだと理解しなければならない。

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