他者に共感する能力は、私たちの中にどのように生まれてくるのだろうか? このプロセスについて定説はないが、ここでは、一つのあり得るシナリオを述べたい。

子どもにとって、親、特に母親は大切な安全基地である。子どもは、母親がいない時にも、「お母さんはこういう人だ」という内部モデルをつくり、それを安全基地の支えにしてさまざまなことに挑戦していく。

安全基地としての内部モデルは、私たちが最初に持つ他者のイメージである。子どもにとって、愛着対象である母親は絶対的な存在であり、自分の必要を満たしてくれる、万能のひとのように期待するし、またそう思っている。

子どもが生育して、次第にものごとがわかるようになってくると、それまで絶対的な存在だと思っていた母親もまた、ひとりの人間だということを認識するようになる。たとえばお腹が空いて泣いていても、お母さんも自分の都合があるかもしれない。手を離せないかもしれない。

さらには、お母さんも、悲しくなったり、つらかったり、悩んだりすることがあるかもしれない。そのような気づきを通して、子どもは、絶対的な安全基地だった母親という内部モデルに修正を加えて、他者についての理論を構築していく。

このように、他者のモデルが、安全基地としての母親の内部モデルを基盤として出来上がっていくという道筋はあり得るシナリオであり、また人工知能やロボッチにも実装可能である。母親だけでなく、父や祖父母、そのほかの人に対しても副次的に同様のプロセスが進行するだろう。

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