時々、地上波テレビの「悪口」(笑)を書くが、それだけ、未だに重要なメディアであり、しかもメディアとしてはまだ存在しているのだから、できるだけ良くなってほしい、という思いからである。一種の「応援」だと思って欲しい。
最近つくづく思うのは、日本のアニメ>>>日本の地上波テレビ(特に民放のバラエティ)ということである。同じ国で、なぜ、これだけクオリティの違うものができるのか不思議なくらい、前者は最近めざましく素晴らしく、後者は惨憺たるありさまである。
民放のバラエティがダメになった理由はいくつかあると思うけれど、一つは、常々指摘している、馴れ合い、ゆるさで席巻しているお笑いの文化のせいだろう。社会的な批評性を伴わないゆるい笑いは、一つのあり方だが、それがモノカルチャーになるとさすがにきつい。
グラミー賞やアカデミー賞の授賞式を見ていればわかるように、向こうのコメディアンは、エンタメのど真ん中でも、きちんとその時々の社会状況や普遍的価値を背景にした批評性を決めてくる。これが日本の地上波テレビにないのは、ほんとうにキツイ。
もう一つ、最近の日本のテレビでどうしても理解できないのは、画面、音の「汚さ」である。なぜ、あのように、字幕やテロップを多用して、画面を「汚す」のか、芸人さんたちの、つまらぬ間の手や笑い声を強調するのか、全くよくわからない。
映画『君の名は。』が、あれほど画面の隅々まで心を配って絵作りをして、音楽も美しく作り上げているのに、同じ日本の地上波テレビが、なぜ、あれほど汚い画面作り、音作りをしているのか、私には一秒たりとも理解できないのである。
民放のバラエティなどは、以前から公言しているように一秒も見ないが(すぐれたドラマや、ニュース、スポーツ中継などは見ることもある)、たまたま食堂などでかかっていると、絵の汚さ、音の汚さですぐわかるのは、さすがというか、悲しい話だと思う。
民放の制作担当者の方々だって、『君の名は。』とか、『この世界の片隅に』を見て感動したのだろうから、それならば、同じクリエーターとして、誇りを持って、良いものをつくっていただきたい。汚い大文字のテロップや、タレントさんの馴れ合いなんて、視聴者は別にテレビに期待していないと思う。

最近つくづく思うのは、日本のアニメ>>>日本の地上波テレビ(特に民放のバラエティ)ということである。同じ国で、なぜ、これだけクオリティの違うものができるのか不思議なくらい、前者は最近めざましく素晴らしく、後者は惨憺たるありさまである。
民放のバラエティがダメになった理由はいくつかあると思うけれど、一つは、常々指摘している、馴れ合い、ゆるさで席巻しているお笑いの文化のせいだろう。社会的な批評性を伴わないゆるい笑いは、一つのあり方だが、それがモノカルチャーになるとさすがにきつい。
グラミー賞やアカデミー賞の授賞式を見ていればわかるように、向こうのコメディアンは、エンタメのど真ん中でも、きちんとその時々の社会状況や普遍的価値を背景にした批評性を決めてくる。これが日本の地上波テレビにないのは、ほんとうにキツイ。
もう一つ、最近の日本のテレビでどうしても理解できないのは、画面、音の「汚さ」である。なぜ、あのように、字幕やテロップを多用して、画面を「汚す」のか、芸人さんたちの、つまらぬ間の手や笑い声を強調するのか、全くよくわからない。
映画『君の名は。』が、あれほど画面の隅々まで心を配って絵作りをして、音楽も美しく作り上げているのに、同じ日本の地上波テレビが、なぜ、あれほど汚い画面作り、音作りをしているのか、私には一秒たりとも理解できないのである。
民放のバラエティなどは、以前から公言しているように一秒も見ないが(すぐれたドラマや、ニュース、スポーツ中継などは見ることもある)、たまたま食堂などでかかっていると、絵の汚さ、音の汚さですぐわかるのは、さすがというか、悲しい話だと思う。
民放の制作担当者の方々だって、『君の名は。』とか、『この世界の片隅に』を見て感動したのだろうから、それならば、同じクリエーターとして、誇りを持って、良いものをつくっていただきたい。汚い大文字のテロップや、タレントさんの馴れ合いなんて、視聴者は別にテレビに期待していないと思う。

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僕はニュースが苦手です。事件や政治のコメンテーターがもう声色からして怖気が走って。
何なんでしょうね?あの自分は潔白だと主張する様な感じ。かえって他人事っぽさが出て不快だというのに…
シンゴジラもゴジラというオールドタイプ(クラッシック)に対するリスペクトがありながら、既視感をひっくり返す気迫を大いに感じました。庵野さんはシンゴジラを作りながら、岡本喜八さんにリスペクトをしている。それは異化出力をかなり上げたと思うんですよね。会議=岡本喜八とゴジラ=円谷英二の戦いが異化そのものでした。君の名は も男女が入れ替わるとか時空のネジレとか話し(ネタ)はベタなオールドタイプで既視感があるのに、飛騨と東京とか口噛み酒とか組み紐とか異化的なガジェットを巧みに吹き込んでました。
地上波のお笑いにあるのは異化出力が足りないという不満がたくさんあるんです。北野武さんやタモリさんやさんまさんら大御所が作った既視感をひっくり返す野心や異化力が少ないと思うんですよね。賞味期限が切れたスタイルをずっと惰性で消費してる。北野武さんはオールドレジームにいつも喧嘩を売って否定をしてました。リスペクトは同時に異化だと思うんですね。その手続きが今のお笑いにはないと思うんですよね。風刺はそこから始まるんじゃないのかな、なんて思ったりもします。一度、北野武さんやタモリさん(何ならすべて)を否定しないと始まらないと思います。僕は北野武さんやタモリさん大好きですけどポストをみたいんです。のっぺりとした怠慢なリスペクトは失礼だと思います。
茂木先生とよく似た意見を、出演される芸人の方が仰っていた記憶があります。
画面が汚い、のお気持ち、何となく分かります。
聴覚障害者の立場からすれば、それでもテロップを頼らないと何で盛り上がってるのか、意味不明な映像でしかない事もあります。(特にトーク場面)
テロップに字幕が被って、よく見えない画面になることもありますので、スマートで質の高いバラエティー番組が増えてほしいと思います。
#FallonTonight ← jimmy fallon 面白いから観ています。
テレビは、
今こそ、変わらないと
先人の作ってきた道を
無駄にしてはいけません。
🎵それー
いけー
アンパンマンー🎵