熊本での大地震をきっかけに、「不謹慎狩り」という風潮が見られるようです。

笑顔をインスタで上げて「不謹慎」だと言われたり、高額の寄付をした方が「不謹慎」だと言われたり。

日本人には、今回の震災のような事態が起こった時に、派手なこと、目立つことをすることを慎み、みなで力を合わせて乗り切る、というような文化的遺伝子が根強くあるようです。

そのこと自体は、決して悪いことではないと思いますが、行き過ぎた同化圧力になってしまうことが、問題なのだと思います。

思うに、インスタの笑顔や、高額の寄付は、そのような方々が自分たちとは「違う世界」にいる、という空気感を見せつけて、その異なる空気感が気に入らない、 ということなのだと思います。

苦しいとき、困難な時ほど、世界は一つであって欲しいし、みなその世界にいて欲しい、と思うのでしょう。

しかし、残念ながら世界は一つではないわけですが、そのことを、公に表明することが、嫌われるようなのです。 

 「不謹慎狩り」のターゲットになることを避けるためには、今、世間がどのような空気の中にいるか、ということを察知し、それに合わせればいいのですが、そのようなことをできない、ある意味ではナイーヴな、「よい人」こそが、「不謹慎狩り」のターゲットになってしまっているような気がしてなりません。