星の光の恵みの下で
茂木健一郎(脳科学者)
私がいちばん最初に沖縄にあこがれ始めた理由は、少年の時に追いかけていた蝶からの連想だが、その思いが深まったきっかけは、一つの歌である。
小学校高学年の頃に、NHKの『みんなのうた』で流れていた、『月ぬ美しゃ』。
言うまでもなく、八重山地方の有名な民謡だが、『みんなのうた』では、その歌詞を標準語にアレンジして放送していた。
本来の、八重山の言葉で聞いたのは、ずっと後になってのことである。
いずれにせよ、『月ぬ美しゃ』を聴いて、私の心の中に、沖縄の一つのイメージができた。
美しい夜空に近い場所。星や月が輝くその夜空の下で、人々が心を通わせている土地。それが沖縄。
大人になって、竹富島に旅して、夜道を歩いていた時にも、私は、『月ぬ美しゃ』がもたらしたそのような感覚を追い求めていたのかもしれない。
地上から邪魔をする光がないその暗闇の中を、大きなコウモリが飛んでいって、その影を追いかけていくと、明るい月が輝いていた。
どこからか、三線の音が聞こえる。
ああ、幸せだなあと、包み込む柔らかい暗闇の中でしみじみと想うことができたのも、沖縄ならではのことだったと思う。
ところで、月光だけで地上のありさまを撮影する写真家の石川賢治さんにお話しをうかがった時、夜空がもたらす地上の変化に思いを寄せたことがある。
石川さんは言った。月光で照らし出された地上のさまざまは、宇宙と直接につながっている。
なるほど、と私は思った。
昼間は、青空が邪魔をして、地上と宇宙が結びつかない。青空とは、つまり、大気によって散乱された太陽の光によってもたらされる事象であって、「濁り」のようなものである。
夜になり、月や星の光が直接地上に届くようになって初めて、私たちは自らの小さな存在が大宇宙とつながっていることを実感することができる。
私たちは、広大な宇宙の存在を前にして、むしろ、自らの生命を大切にしたいという魂の震えを感じるのではないか。
大宇宙と、私たちの命と。
娘の愛らしさを、月の光と比較して歌い上げる『月ぬ美しゃ』には、自然と向き合って暮らしてきた沖縄の人々の心根が表れている。
だから、テレビから流れるその旋律を耳にした時、私の心の中にまだ見ぬ沖縄に対する強いあこがれの気持ちがこみ上げてきたのだろう。
沖縄では、人は、星の光の恵みの下に暮らしている。
素敵な島が、ずっとそのような姿でいて欲しいと心から願う。
このエッセイは、雑誌「モモト」のために書かれ、掲載された文章です。
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