月別アーカイブ / 2019年09月

連続ツイート2347回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


レンガ職人の家に生まれて、後に大数学者となったガウスだけれども、子どもの頃、先生がちょっと作業をしようとして子どもたちに1から100まで足すように課題を出したところ、瞬間的に問いてニコニコしていたので、先生のもくろみが外れたという有名なエピソードがある。


1+2+3+・・・+100を計算させていればその間手元の作業ができると思ったのに、ガウスは(1+100)、(2+99)、(3+98)と組み合わせていけば結局101x50=5050だと瞬時に計算してしまったわけである。先生はぎゃふんだった。


ここで考えたい問題は、この先生が、そのようなガウスの才能を、「ずるをした」などと非難するとか妙な対応をとらないで、率直にすごいとみとめ、称賛し、ガウスの親にも数学の教育を受けるように勧めたことで、このことは、ガウスの生涯で大きな意味を持ったのではないかと考える。


つまり、1から100の和は5050だということを瞬時に出したのはガウスの才能なのだけれども、それを先生が拾って、褒めて、特別な教育を受けるように勧めてくれたことが、ガウスの生涯において決定的に「良い」影響を与えたのではないかと思われるのである。


天才というのは放っておいても育つという考え方もあるかもしれないけれども、やはり大人の支援は大切で、ガウスといえども、先生が自分の才能を見つけてくれて、褒めて、支援してくれたということはとても大きな意味を持ったはずだ。


脳の報酬系のドーパミンは人に認められたり褒められたりすると放出されて強化学習が起こる。少年ガウスにとって、先生が自分の才能を見出してほめてくださったことは、どれだけ大きな強化サイクルのきっかけになったことだろう。


親は教師は子どもに対して褒めのアスリートになることができる。タイミングよく認め、褒めることで、子どもの脳を飛躍的に育てることができる。ガウスは放っておいても天才だったかもしれないけれども、その急成長のきっかけをつくったのは、間違いなくその先生だったのである。


親や教師は、タイミングよく認め、褒めることで子どもの脳に奇跡を起こすことができる。志ある教師の一言でガウスの脳に奇跡が起き、天才が開花した。


以上、連続ツイート2347回、「志ある教師の一言でガウスの脳に奇跡が起き、天才が開花した」をテーマに8つのツイートをお届けしました。

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連続ツイート2349回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。


小中学校でトロッコ問題の授業をしたというニュース、2つの意味で驚いた。一つはそんなに先端的なことをやっているのか、大いに結構という驚きで、もうひとつは、保護者から抗議を受けて、調べてみたら子どもが不安を感じていたから、謝罪したというニュースに驚いた。


トロッコ問題は、たとえば自動運転のアルゴリズムを考える際に欠かせない視点であって、今後の社会を生きていく子どもたちが考えるのは大いに結構なことである。教科書にはおそらく出ていないのだろうから、それを補助教材で扱うことは推奨されこそすれ学校側が謝罪することではない。


トロッコ問題で子どもたちが「不安」になったということだけれども、もともと、マイケル・サンデル教授がジャステイスでやって有名になったように、「理性のゆらぎ」を起こすのがトロッコ問題の本質で、適切な教育的配慮があれば大いに結構なことだと思う。


トロッコ問題は、私たちがふだん何気なく考えている無意識の構造の前提を明らかにすることですぐれた思考のきっかけになる。功利主義や評価関数、倫理の文脈依存性などについて、カントや神経科学を参照して考える上で、これほど適切な問題はない。


トロッコ問題は現実のさまざまな問題に比べればむしろその設定はトイプロブレムというかトリビアルで、たとえばなぜ操作と犠牲者の人数が事前に確定して提示、認識されているのか、現実の状況下では不確定だからこそ人間の判断は揺らぐのではないかという批判は正当で、子どもが気づけば素晴らしい。


いずれにせよ、新聞社がトロッコ問題の学校現場への導入についてあのような記事を書く背景には、一般に、日本の学校において不確実性が伴うような問題において理性に基づく批判的思考を養うことが忌避されていることと無縁ではないと思う。あの記事のスタンスはナイーブで、洞察が足りなかった。


倫理について考えるという意味では、小中学校の道徳の時間にいかにも教えられそうな、「人の立場で考えよう」とか「やさしい人になろう」とか、「親切にしよう」といったふわっとしたスローガンの方が、よほどその曖昧さの中にさまざまな問題が含まれていると、鋭い子どもなら気づいてしまうだろう。


「みんなでいっしょに」「人にやさしく親切に」「他人の気持ちがわかる人」のようなゆるふわの道徳的スローガンの方が、よほどコミュニティや不良設定問題や評価関数といった側面において、突き詰めれば「トロッコ問題」よりも深刻な相反があって、鋭い子はむしろそっちに「不安」になるのではないか。


「トロッコ問題」のトリビアルな矛盾には気づくのに、「みんないっしょにやさしく人に親切にしましょう」といったゆるふわの中の矛盾には気づかないということが日本の教育の現状における致命的な脆弱性、欠落と関連していて、今回のニュースはそのような構造を露呈してしまっていると私は考える。


以上、連続ツイート2349回、「「トロッコ問題」のトリビアルな矛盾には気づくのに、「みんないっしょにやさしく人に親切にしましょう」といったゆるふわの中の矛盾には気づかない」をテーマに、9つのツイートをお届けしました。

(当初2348回として配信されましたが、訂正いたしました)

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1012回


アンニンさん


いつも興味深く拝読しております。23歳、男です。

発想力が弱くなって困っています。そこでいま、映像業界から転職を考えている程です。

混迷のきっかけは高校生のころ好きな人が出来たことに遡ると思います。
それまで私は、内向的だけれども人前に立つのは好きなややこしい性格で、あらゆる表現活動が大好きでした。

しかし好きな人ができて、頭の中で想像を膨らまし、表現することがなぜか難しくなりました。ここ何年も発想力、集中力が落ちている気がします。

代わりに外向的になったり、人との付き合いに楽しさを感じるようになりましたが、
以前のように自分の創造力でものをつくる楽しさとは比べ物にならず、どこか空しいです。

どうすれば以前のように集中してクリエイティブな発想ができるのでしょうか。
そもそも以前の状態に戻ろうとするのは無理があるのでしょうか?

茂木先生、何かアドバイスございましたら、回答よろしくお願いします。


ご回答。


アンニンさんが、クリエイティヴであることを大切にされていることは伝わってきます。


それは素晴らしいことだと思います。ぜひ、創造的な活動を続けていただきたいと思います。


一方で、ご自身の脳がこのような理由で因果関係としてこうなったというご理解は、そのように整理なさっているのでしょうが、脳は複雑で非線形的で、実際に起こっていることと違うケースが多いのです。


ポイントは、対人関係、感情、集中ということかと思います。


創造性のために、ある程度の「孤立」というか「自立」が必要という直観は正しいと思います。


外向的に他人とのふれあいを楽しみつつ、一人になって自分の内心に向き合う時間を持たれたらいいのではないでしょうか。


すでに、そのような自己対話のプロセスを、アンニンさんは始めていらっしゃるように思います。

nounandemo
 
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