月別アーカイブ / 2019年05月



 だいこんおろしのだいこんは、先の方が辛いのか、葉っぱに近い方が辛いのかいつも忘れてしまって、あいまいなままで過ごしてきている。


 ぐぐればわかることなんだろうけれども、あいまいにしているのがなんだか楽しい。


 だいこんの辛さはトウガラシの辛さと違っておもしろい。


 そしたら、この前、だいこんおろしのおろし方で辛さが変わるとか言っている人がいてびっくりした。


 そんなことがあるのか。


 あと、すったあと、置いておくと辛くなるのか、それとも辛さがとれていくのかもわからない。


 一度は全部整理してすっきりしようとは思うけれども、あいまいなまま日々が過ぎていく。


 料理屋さんで出るだいこんおろしは、サンマにしてもなんにしても、もっとたっぷりあればいいのにといつも思う。


(クオリア日記)





 組体操を未だにやろうとしている学校があることに驚く。


 危険なことはもちろんだし、その点だけとっても教育現場でやるべきことではない。


 より本質的な問題は、組体操をやることで一体どのような身体能力が身につくのか、ということだ。


 サッカーをしたり、走ったり、野球をしたりするのは楽しい。さまざまな課題を身体運動を通して解決していく。その際に脳の感覚運動連関が培われる。


 一方、組体操では運動制御の能力は全く育まれない。


 せいぜい、重さに耐えて、バランスをとるということだけだ。


 バランスをとるのならば、より動的な方が面白いし、体操をしたりさまざまな方法がある。


 重さに耐えるのならば、ものを持ち上げたりすればいい。


 組体操をやる教育的意義は皆無に近い。


 それを、今までやっていたからと言って思考停止で続けるのは、単なる怠慢だと思う。


 未来を託す子どもたちには、もっと楽しいスポーツの機会を与えるべきだ。


(クオリア時評)




 また、政治家の方が、失言されたようだけれども、伝えられる発言内容を見ると、世間で不用意なおじさまがそのようなことを言うことはときどきあるように思う。


 問題なのは、国会議員という「選良」であるはずの方が、ましてや大臣までされた方がそのようなうかつな方だということで、つまりは議員の選考のプロセスになにか決定的な欠陥があるのではないかと思われる。


 諸外国と比較しても、やはり、議員の候補を選ぶ過程で、自分の発言をコントロールする能力を含め、きちんと「コンテスト」をしないで、いろいろ地縁血縁しがらみもろもろであいまいに選んでいるから(というか実際には吟味して選んでいないから)こういうことになるのだと思う。


 こういう事象が出たときに、その方個人を批判するのは比較的容易だけれども、原点に戻って、そもそも国会議員(候補)を各政党が選ぶ際のプロセスがまともなのかどうか、そっちの方をきちんと検証した方が良いように感じる。


個人の資質ではなくてシステムの問題なのだ。


(クオリア日記)

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