月別アーカイブ / 2019年04月

連続ツイート2204回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、メディアについて。


今朝の新聞に、街頭テレビに見入る人々の写真を使ったNetflixの広告があった。「見たいものを見られる。そんな時代を、これからも。」とあった。うまいなと思った。当時の街頭テレビに相当するものが、今はNetflixになっているというメッセージ。


ぼくは「街頭テレビ」には全然間に合っていなくて、ただ、子どもの頃、「力道山のプロレス」なんかを、人々が街頭テレビで夢中になって見ていた、ということを「レジェンド」としては聞いていて、その頃の熱を、なんとはなしに想像することはできていた。


メディアのちから、というか熱のようなものは時代とともに変わっていって、平成の30年もさまざまな新しいメディアが登場しては移っていった。今、かつてのわくわく、次は何を見ようという楽しみがNetflixだというのは私の実感で、確かにそのようにしてメディアの熱は移っていくのだろうと思う。


今の時代の特徴は、次第に地球がマクルーハンが予言していた「グローバルヴィリッジ」に移っていくということで、力や熱を持つのは、そのことを理解しているメディアだろう。Netflixは、アメリカやヨーロッパに行っても、同じアカウントでログインして見られる。その形式が新しい。


いろいろな国に行って、その国の地上波テレビをつけると、その国では著名だったり人気だったりするのだろうけれども、見たことも聞いたことも想像したこともないコンテンツが流れていて、地上波テレビはネーションステートという制度と密接に結びついて、その中で花開く文化だと実感できる。


こんまりさんが、Netflixで一つシリーズをやっただけで、実際に見た人がどれくらいいたということと関係なく、ある種のポジション感を得るというのは今の時代の実態で、グローバルヴィリッジのメディア状況はそちらの方にシフトしている。


令和が5年、10年、15年と経つにつれて、メディアがグローバルヴィリッジの中で発展するという傾向はより強まり、その時はNetflixでさえすっかり姿を変えて、レガシー化さえしているかもしれない。変化のベクトルを見誤らなければ、レガシーの谷で鬱屈することなく、広々とした飛躍が可能だろう。


以上、連続ツイート2204回、「グローバルヴィリッジにおけるメディアの行く末」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

連続ツイートまとめ.png

865回


やっくんさん


茂木さんこんにちは。
初めて質問させていただきます。

左脳は論理的、右脳は感覚的に働かせることを知りました。

現代社会では、左脳と右脳のどちらをより働かせていくのが大事だと考えていますか?

またこれからの社会が変化していく中でもどちらが大事だと考えていますか?


ご回答


脳に関する問いで、「AかBか」となった場合、その答えは「A」だけや「B」だけではなくて、「AもBも」ということが多いのです。


つまり、文脈や課題によって使い分けるということです。


左脳が論理、右脳が感情というのも統計的傾向に過ぎず、実際にはそんなにきれいに二分できるわけではありません。


論理も感情もどちらも必要なのだと思い定め、一度しかない人生を生きてください。

nounandemo
 
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よくある相談項目を集めて、回答した本です↓

『すベての悩みは脳がつくり出す』



旅先で走っていると、いつも、この街に自分が住んでいたらどうだろうと想像してしまう。


なぜか、旅人としての視点よりも、仮想の住人としての視点になってしまうのだ。


景色はこうで、この坂道を毎日こう登って、裏の緑はこう眺めて、などと想像してしまう。


おそらく、旅人として見るよりも、もしも自分が住んでいたらと考える方が偶有性のめまいが強いのだと思う。


そうやってめまいを感じることで、また先を走っていく。


(クオリア日記)

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