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 大英博物館には、自然史(Natural History)を扱う分館があることは、良く知られている。この自然史博物館では、恐竜の化石を始め、様々な動物の標本、さらには白蟻や蜂の巣といった実物展示を通して、イギリスの自然科学の力強い伝統を目の当たりにすることができる。しかし、実は、さらにもう一つの「大英博物館」の分館があることは比較的知られていない。それは、ロンドンの南西部、ナイツブリッジ(Knightsbridge)にそびえる、ハロッズ百貨店(Harrdod's)である!実際、ハロッズは、数千円のウェッジウッドの陶磁器から数千万円の巨大シャンデリアまで、イギリスの生活文化の一大見本市であり、その意味で、「第三の大英博物館」といっても過言でないほどの規模と内容を誇る消費の殿堂なのである。
 ハロッズと大英博物館には、多くの共通点がある。まず、入場料が無料である。また、どちらの「施設」でも、殆ど全ての展示物を、手が触れるほどの至近距離から見ることができる。さらには、常に世界中からの観光客で溢れ、英語を聴くことが希であるという点も共通しているし、設備の整ったカフェテリアがあることでも共通している。
 しかし、ハロッズと大英博物館で異なる点もある。
 まず、大英博物館ではそれがロゼッタ・ストーンであろうがマグナ・カルタであろうが、展示物の写真を撮ることは自由(一部制限あり)であるが、ハロッズでは、展示物(商品)の写真を撮ることができない。
 また、警備員の数は、ハロッズの方が多く、また、その質も充実している。実際、ハロッズの出入り口にものものしく配置されている警備員は、大英博物館の入り口に所在なげに立っている警備員よりもよほど立派で、恐そうである。 
 さらに、ハロッズと大英博物館の間には、次のような相違点もある。
 ハロッズには専用の地下鉄の出入口があるが、大英博物館にはない。
 ハロッズには銀行がある(地下1階)が、大英博物館にはない。
 ハロッズのトイレには、チップを要求する清掃担当者がいるが、大英博物館にはいない。
 そして、何よりも、ハロッズに展示されている外国からの輸入品は、大英博物館に展示されているエジプトのミイラのように、原産国からの返還要求を受ける心配がない!

 ところで、ハロッズは、言うまでもなく、世界でも最も有名な百貨店の一つである。しかし、三越や高島屋といった、日本の一流百貨店をイメージしていると、時には、とんでもない肩すかしをくらう時がある。
 例えば、セールス期間中のハロッズは、突然アメ横と化す。その、執事の咳払いが聞こえそうな高級店から、コートとコートが擦れ合う大衆店への一夜にしての変化の激しさは、唖然とするほどである。
 セールス期間中のハロッズは、何故か、セールス商品の荷降ろし作業を、多くの買物客のいる、真昼の営業時間内に行う。ウェッジウッドやロイヤル・ダールトンの並ぶ優雅な展示棚に囲まれたフロアの真ん中には巨大なテーブルが置かれ、その周囲には、東京地検特捜部の手入れがあったのかと思うほどの段ボール箱の山が積まれる。そして、買物客は、これらの段ボール箱の山の間を縫うようにして歩かされる。もちろん、店員はセールス品の展示に忙しく、客に商品を売るなどという百貨店にとってはどうでもよいことにかかわっている暇などない。この時期のハロッズは、世界で最も有名な百貨店というよりは、イギリス陸軍の参謀本部のような雰囲気になるのである。
 そして、奇妙なことに、このようにして売られるセールスの陶磁器には、直接マジックで値段が書き込まれる。もちろん、洗えば落ちるのであろうが、これでは、ウェッジウッドもロイヤル・ダールトンも片なしである。
 世界の超一流百貨店ハロッズのセールス期間ごとに繰り返されるこのような変身ぶりを見ていると、日本の百貨店の、あのお高くとまった、体裁を重視する百貨店文化は、少なくともハロッズで生まれたものではないということが良くわかる。ハロッズのマネッジメントは、恐らく、従業員を勤務時間外に働かせるというような面倒なことをするよりは、買物客のいる昼間の営業時間に作業をしたほうが実際的だし、経済効率も良いと考えているのである。それによって体裁が少々失われたとしても、それは、ハロッズにとって大した問題ではないというわけである!
 そう言えば、本家の大英博物館も、天井の工事だとか、部屋の改装だとか様々な理由をつけて、展示物の上に見苦しいベニヤ板の覆いを平気で被せる。どうやら、イギリス人にとって、実際的であることは、審美的であることよりも、重要な価値らしいのである。


英国生活の達人.png


(著者注 この原稿は、1995年、最初の英国滞在の際に書いたものです。茂木健一郎)

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