月別アーカイブ / 2018年09月

沖縄知事選で、玉城デニーさんが当選確実になられた。


ほんとうにおめでとうございます。


沖縄に行くこと数十回、歴史やさまざまなことの重み、深みを知り、沖縄のことは沖縄の方々が決められるようになってほしい、と心から思うようになったことや、そう簡単に何も言えないという思いから、今回の選挙について私は一切ツイートなどして来ませんでした。


辺野古のことも、いろいろな考え方があると思いますが、今の政府の、あまりにも露骨な利益誘導、補助金をちらつかせて、あるいはその停止を匂わせての圧力のかけ方は、「ヤマトンチュ」の一人として、恥ずかしいとずっと感じてきました。


辺野古のことも、普天間のことも、沖縄の方々が合意形成して、自分たちできめられ、政府は、アメリカ政府に対して、誠心誠意その実現に向けての交渉をするのが本来のあり方だと言えるでしょう。


いろいろな考え方があると思いますが、辺野古のあの美しい海を、本当に埋め立てようとしているのか、それは、あらゆる可能性を模索して、本当に必要なことなのか、疑念を取り払うことが私にはできません。


いずれにせよ、沖縄の方々が、自分たちのことは自分で決めるという「自治」の「当たり前」を手にされることを、心から願います。


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連続ツイート2152回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、「日本はもう一度できるよ」について。


司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』では、もちろん、文明を発展させていく当時の日本の熱さが描かれているが、一方では日本の社会のシステムの弱点、欠点も描かれている。いわゆる「司馬史観」は、日本の全面的礼賛ではなく、冷静にさまざまなことを見ている。


いずれにせよ、司馬遼太郎さんが描く明治の日本は、すべてが普請中で、その中で、定まったシステムもなく、先人たちは必死に学んだ。定例よりもむしろ例外の方が重要であり、組織よりもむしろ一人ひとりの個性が活かされた。日本人にはそういうことができるということだ。


時代が流れて、日本は再び危機にある。特に敎育。小学校から、ちいちいぱっぱで薄っぺらな教科書を勉強して、使えない英語の能力を身に着け、偏差値入試で陳腐なペーパーテストの前で18まで前にならえ、みたいなことをしていたら、今の時代のグローバルなイノベーション競争に全く勝てぬ。


小学校のデイワンから、それぞれの好奇心に沿った探求学習をするべきであり、横並びではなく、できる子はどんどん先にいっちゃうべきであり、プロジェクトベースで、何かを成し遂げつつ学ぶというシステムを、構築して、その中を一人ひとりが自分のペースで進んでいくというかたちにすれば日本は輝く。


変に部分最適化されて陳腐な敎育システムが構築されてしまっていて、そこに偏差値ペーパー入試が張り付き、また、塾業界などがビジネスとして群がっているから、中学入試から始まって大学入試まで続く日本の敎育の陳腐硬化は、一見、動かしがたいように見える。


だが、そんなことはない。司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いたような、偶有性こそが日常であり、ダイナミズムこそが命題だった時代に日本人がどう振る舞ったか、思い出せばいい。日本は再びできる。陳腐なシステムなど、いくらでも壊せる。このまま立ち止まって陳腐化のうちに滅びるのは運命ではない。


慣性の法則に従って思考停止のひとたちはいつの時代でもいるので、相手にしないで、現代の状況で学びは何が最適かを冷静に見つめて実践しよう。それぞれ走り始めよう。日本はもう一度できるよ。何度でもできるよ。頭の悪いひとたちの硬直にさよならして、ベスト・アンド・ブライテストの踊りを。

以上、連続ツイート2152回「日本はもう一度できるよ」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。


補足。日本人がもともと集団主義で、リスクをとれないのではなくて、単に時代状況で文脈がかわって振る舞いも変化するだけだ。日本人はむしろ、偶有性の海で泳ぐ能力を持っている。極言すれば、文科省の学習指導要領などガン無視して、今の時代に必要な学びを全速力でやってしまえばいい。


nounandemo
 
脳なんでも相談室へのご相談は、https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1294423.html のコメント欄までお願いします。

よくある相談項目を集めて、回答した本です↓

『すベての悩みは脳がつくり出す』



 駅からタクシーに乗ろうとしたら、ぜんぜんなくって、みんな並んでいた。


 それで、歩こうと思ったら、同じ方向にいくひとがたくさんいる。


 なんだか、雰囲気がある。


 なんだろう、と思ったら、そのうちにわかった。


 あるアーティストのコンサートが開かれるのだ。


 それで思い出したことがある。


 物理学者、リチャード・ファインマンの『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の中で、空港から大学に行こうとしたら、キャンパスが2つあって、どっちかわからなくて困っしまった。


 それで、タクシーの運転手さんに、「なんだかぼーっとしていて、わけのわからないことをずっと喋り続けている人たちが来なかったか」と聞くと、運転手さんの顔がぱっと明るくなって、どっちのキャンパスかわかった。


 それは、理論物理学者の会議だったのだ。

 志をともにする者たち。


 そんなことを思い出しながら、ふふふと一人笑いして、雨の中を歩いていった。


(クオリア日記)


理論物理学者.png

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