月別アーカイブ / 2018年04月

第564回。



あいうさん


茂木さんおはようございます!

僕は大学1年生の男です!受験期はフローやタイムプレッシャーなど参考にさせてもらいました!

今日お聞きしたいと思ったことは、なぜ宇宙の星々、ブラックホールについてやシミュレーション仮説のような世界についての話題は現実離れして聞こえるのか です!

なぜこれらの話題は友達との会話などで気軽に話せず、私たちは目の前の服や人間関係などのことばかりにしか関心を持つことができないのでしょうか?

茂木さんのお考えをぜひお聞きしたいです!


ご回答。


そのようなことを話題にすることを好む人たちは、確かにこの世界に実在しますが、ひとりか、あるいは仲間がいても孤立したクラスターになっています。


だから、そういう話題が好きな人を探して、つながるしかないです。

「普通の」人たちはそのような話題を敬遠します。そのあたりのミスコミュニケーションの面白さは、アメリカのコメディ、「ビッグバン・セオリー」に描かれています。


あと、フラクタルな視点から見たら、小さなスケールと大きなスケールはつながっているので、目の前の服と宇宙をひとつながりに語ることもできるはずです。


そこまで行けば、ほんものです!(笑)

nounandemo
 
脳なんでも相談室へのご相談は、https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1294423.html のコメント欄までお願いします。

よくある相談項目を集めて、回答した本です↓

『すベての悩みは脳がつくり出す』



夏目漱石の『二百十日』は、全編ほとんど二人の人物の間の会話で進められる「実験小説」である。二人が話しながら阿蘇山に登って、次第に周囲の風景がすさまじくなる中、社会問題についての真剣なる対話が行われる。漱石が、常に新しい試みを行う人だったことを示す、忘れがたい傑作だ。


夏目漱石の『それから』では、代助がいよいよ追い詰められて人生を決めてしまう決断をする、その直前に、外国の雑誌で山での事故を集めた「マウンテンアクシデンツ」を読む場面がある。象徴性の高い、芸術的瞬間。


「おい。いるか」

「いる。何か考えついたかい」

「いいや。山の模様はどうだい」

「だんだん荒れるばかりだよ」

「今日は何日いくかだっけかね」

「今日は九月二日さ」

「ことによると二百十日かも知れないね」

ほとんど全編、このような会話で継がれていく実験小説、夏目漱石『二百十日』を読もう!


『赤毛のアン』の作者、ルーシー・モード・モンゴメリには、自伝的な「エミリー」シリーズがある。エミリーには作者自身が投影されている。エミリーは、時折、カーテンの向こうにもうひとつの世界を見る瞬間があって、それを「フラッシュ」(flash)と名付ける。これはepiphanyに近い。


オペラの多くが神話や王様、貴族などをモティーフにしていた時代に、ピエトロ・マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』は、田舎に暮らすごく普通の人たちのことを作品として画期的だった。前奏曲と間奏曲はあまりにも有名。懸賞オペラで優勝した。ヴェリズモ・オペラの先駆けとなる記念碑。


(毎朝、ツイッターでつぶやいていることを5日分まとめてお送りします)



仕事で行った島根の海岸で、沖を見ていた方が、「ああ、赤潮が来ている」とおっしゃった。


「このあたりは、こんなふうに、急に気温が上がると、赤潮が発生するんですよね。そして、日が暮れると、夜光虫が光るのです。きれいですよ。」


そうなのか、と私は思った。海岸に波が打ち寄せ、光が揺れ動いているありさまを思い浮かべた。


私は、昼過ぎの飛行機で帰らなければならなかった。うとうとして、目が覚めると、東京湾の水の広がりが見えた。


東京湾にも、夜光虫は来るのだろうかと思った。


(クオリア日記)

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