月別アーカイブ / 2017年07月



 隅田川花火の日、西洋美術館でのニコ生の仕事が始まるまで少し時間があったので、東京の街を歩いた。

 上野の方に向かって、雨の中を歩いた。

 少しは期待があった。花火が見えるのではないかなと。
 
 ぼくの想像の中では、花火は、川の上で大きく花開いて、それは、遠くからも見えるのだった。かすかな光の柱として望見できるような、そんな大きな存在であるように期待された。

 ところが、東京の街は、ビルだらけなのだった。
 
 十字路に来る度に、あちらに見えないかな、と期待して目をやるが、見えるのはどんよりと曇った黒い空だけだ。

 音は聞こえている。ぽーん、ぽーんと上がっている響きはある。打ち上げられているのは気配でわかる。だけど、光は一向に見えない。

 ついに、花火の打ち上げの時間は終わり、暗闇は静かになった。
 ぼくは、なんだががっかりしたような、そしてほっとしたような気がした。

 ぼくの想像の中では、川辺で花火が打ち上がっている。
 それは、近くからは大きく華やかに見えるが、遠くからも、微かな光の柱として小さく見える。
 その見え方の変化は、川からの距離に従って、連続的に続いていく。

 そんな花火大会が、心のどこかに、きっとものごころついた頃から、一つの原風景として住み着いている。
 
 その原風景の中には、商業活動や生活のために不可欠な、ありがたい素晴らしいビルの群れはなくて、ただ、ぼくたちと花火だけが世界の中で向き合っている。

(クオリア日記)


tacohanabi20160408

英修さん

こんにちは。
私は首都圏の大学で勉強をしています。

自分の個人的な信条として、「何事に対しても『なぜ』と問う」ということがあります。

学問をするうえでは、どんなことに対しても「当たり前でしょ」という態度をとってはならないと感じますし、おそらく学問というのはどの分野でも徹底して「なぜ」という態度を取り続けた学者の方々が積み上げてきたものであるように感じるからです。


「物を手に掴んで、それを離したらそれが下に落ちていくなんて、当たり前でしょ」
という態度をとることもできますが、そうせずに、そこで一度立ち止まって、
「なぜ、物は手を離したら落ちていくのだろうか」
ということを考えた先人たちの試行錯誤の結果の力学があるのだと思います。

同様に、現代では部屋のスイッチを押せば電気がついて、夜でも部屋を明るくすることができますが、ここでも力学と同様に「なぜスイッチを押すだけで部屋が明るくなるのか?普段使っている『電気』って、一体なんなんだろう」と考えることが可能ですし、また、そのように考えた先人たちの試行錯誤の結果の現代の豊かな生活があるのだと思います。


そのようなことを考えたら、私は、もしも現代の文明をわずかでも享受するのであるならば、「自分が認識できる全てのことに対して、『なぜだろう』という姿勢を取らなければならない」。「『蛇口を捻れば水が出る、スイッチを押せば電気がつく、そんなの当たり前でしょ』というような姿勢はとってはならない」と感じるようになりました。


ですが、現在通っている大学で、このようなことを話して共感してくれる人というのは、そう多くありません。おそらく、周りの多くの人は私を「変わり者」と見ると思います。

しかし、私は研究者という仕事に憧れがあります。
たとえ周りの人たちに自分の態度を肯定的に捉えてもらえなかったとしても、研究者の方には肯定的に捉えてもらいたいですし、自分の態度は、肯定的に捉えてもらえるのではないかと思う節もあります(傲慢かもしれませんが)。

そこで、茂木先生にお尋ねしたいのですが、私のもつ態度というのは、研究者である茂木先生にはどのように映るのでさしょうか?
回答していただけたなら、幸いです。

ご回答。

何事に対しても『なぜ』と問う。
とても立派な態度だと思います。

そして、「現在通っている大学で、このようなことを話して共感してくれる人というのは、そう多くありません。おそらく、周りの多くの人は私を「変わり者」と見る」ということも、仕方がないことかもしれません。

自分の志向に合う人というのは、ランダムにしか分布しておらず、そう簡単には会えないからです。

英修さんにとって、今一番大切な課題の一つは、「どうしたら自分の志向に合う人に会えるのか?」と聞くことで、たとえばいろいろな学会をのぞきにいったりとか、自然科学同好会とか、そういうのに顔を出すとか、自分の志向と合いそうなコミュニティをのぞきに行くことではないでしょうか。

今いる大学で受け身でいても、そのようなコミュニティには出会えません。これは、一つの、科学的認識であり、方法論であると言うことができるでしょう。

共鳴する人はそう簡単には見つからないけど、それを見つけること自体が一つのアルゴリズムだと考えたら楽しくなってきませんか?


nounandemo

 
脳なんでも相談室へのご相談は、https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1294423.html のコメント欄までお願いします。

『すベての悩みは脳がつくり出す』

 
 ある時期から気づいたのだけれども、すぐれたクリエーターほど、自分の周りにおだやかでゆるやかな「隙間」をつくっているように思う。

 もちろん、忙しいに決まっているし、時間に追われてもいるのだろうけれども、とにかく、ゆったりと周りを見て、自分の感じることをしなやかにそして伸びやかに展開している。

 そのような穏やかさの隙間の中で、世界をみずみずしく見ていないと、良い作品はつくれないのだと、観察していて思うようになった。

 そして、売れっ子で、常に求められて、ほんとうは忙しいに決まっているその生活の中で、そのようなゆったりとした空間をつくることがいかに大変で、そのために努力や工夫を重ねているのだろうなということも、考えるようになった。


(クオリア日記)


sleepingnekoandbird20160331

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