月別アーカイブ / 2017年05月

 昨日、先日の講演の後で、児童精神科医の方がいらして、「茂木さん、失礼ですが、子どもの頃、発達障害と診断されたことはありませんでしたか?」と聞かれた、という話を書いた。

 その際、私があまり動揺とか、驚きを感じなかったのは、「まあ、そういうこともあるだろうなあ」というくらいにしか思わなかったからである。
 
 しかし、一般には、「発達障害」(developmental disorder)という「診断」をつけられたら、動揺されるお子さん、親御さんが多いだろう。

 医者などの「専門家」から、「お子さんは発達障害です」という「診断」を受けたら、それを絶対的な「真理」として受け止め、「どうしよう」と思うのは、人間の心理として、自然だろう。

 しかし、実際には、神経学的に「典型的」な人と、「発達障害」の人の間には、無限の段階(スペクトラム)がある。
 発達障害であるかどうかは、さまざまな基準で判断するが、それは絶対的なものではない。
 むろん、診断基準そのものは、さまざまな科学的知念に基づいて構築されてきたもので、それなりの根拠があるのだけれども、人間の多様性を、ある境界で区切るのだから、その振り分け自体は人為的である。

 そのことは、専門家はわかっている。しかし、必ずしもそのニュアンスを伝えていないし、伝わらないだろう。

 学習障害と診断されることで、適切な支援を受けたり、学習環境を整備されたり、場合によっては医学的な処置を受ける、というメリットはあると思う。

 一方で、「学習障害」という名前が一人歩きしてしまって、必要以上にご本人や家族が気にしてしまったり、それによって自由が奪われてしまうと、本末転倒になってしまう。
 私のように、児童精神科医の方に今になって「発達障害では」などと言われて、しかしこれまでそんな意識も特になく生きてきたケースもある。

 人間の多様性を科学的に解明することも大切だし、その中の、助けを必要とする方々を「診断」することも大切だが、そのような「診断」が一人歩きすることは、科学的な真実から遠ざかるだけでなく、その方々やご家族にも、あまり良い影響を与えないように思う。

 だから、心から申し上げます。
 「発達障害」という診断がたとえあったとしても、それをもとに、特別な配慮や、工夫、場合によっては治療を受けることはよいとして、必要以上に絶対視したり、自分や他人を、それによって決めつけることはうめてください。
 そのような態度は、発達のためにかえってよくないと同時に、科学的にも真実から遠ざかることになってしまいます。

 すべては、多様性の中で、つながっているのです。
 そこに「区切り」を設けるのは、人間です。


suyasuyaneko

ジャスティンさん

どうすればいいでしょうか。大阪の大学生です。

ずっとお笑い芸人になりたかったのですが、高校は進学校に通っていて、大学に行くことに決めました。

せめて笑いの文化が根強い大阪に行こうと、大阪の大学に行くことに決めたのですが、大学がこんなにもタメにもならない場所とは思いませんでした。

今すぐにでも芸人になりたいのですが、親におんぶにだっこの状態でわがまま言ってられないと思う自分がいます。

でも、このまま我慢して4年間大学を続けるのも無理な気がします。その4年を芸人として過ごした方が絶対自分にとってもいいと思います。

どうすればいいかアドバイス教えてください!

ご回答。

そうかあ。
ほんとうにお笑い芸人になりたいんだね!
そのために大学まで行くとはなあ。

まあ、人生、無駄に見えることでも、やっておくと、後で役に立つこともあるし、大学卒業ということは、それなりに日本の世間では意味を持つから、がまんして卒業する、というのも一つの手だよね。

芸人さんになったときも、その経歴を一つのフラグとして立てることもできるかもしれないし。

あと、これ、肝心なことなんだけど、今、大学の授業とか、さまざまなことが詰まらないとしたら、それをネタにするのも手だと思う。

もともと、笑いって、不条理やつらいことをメタ認知して真実に到達することだから。

今、大学がつまらないと感じているとして、何がつまらないのか、それを一つネタとして書いてみたらどうかな。
ネタ帳をつけはじめたら、取材している気になって、大学の日常も、違った目で見られるようになるかもしれないよ!


nounandemo

 
脳なんでも相談室へのご相談は、https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1294423.html のコメント欄までお願いします




先日放送されたNHKスペシャル「発達障害 
~解明される未知の世界~」を見た。


 感覚過敏など、発達障害の方々の内面世界を最新のエビデンスに基づいて報じて、とてもよい番組だったと思う。

 海外の研究動向の紹介も良かったが、スタジオに、当事者の方々がいらしてお話されていたのが、とても良かった。
 特に、比較的長い時間をつかって、そのコメントを丹念に放送していたことが、個性が伝わるという意味でとても良かったと思う。

 発達障害(developmental disorder)
の「障害」という言葉については、注意する必要がある。

https://en.wikipedia.org/wiki/Developmental_disorder

 確かに、社会生活を送る上でさまざまな困ることがあり、いろいろな工夫が必要であるという意味では「障害」とも言えるかもしれないが、そのような方々も、神経学的に典型的な(neurotypical)方々と連続の「スペクトラム」の中にある。

 そのような意味では、発達障害は一つの脳の「個性」である。
 個性であるということは、苦手なこともあるけれども、得意なこともあるということで、問題は、そのような個性をどう活かすことができるのかということだと思う。

 番組でも取り上げられていたが、発達障害という脳の個性は、外からはその様子がわかりにくいので、その個性を尊重する、と言っても周囲がわからないことが多い。
 たとえば、感覚過敏で、音環境に影響を受けるということは、周囲の方々にはわかりにくいので、誤解が生じやすい。
 本人の「心がけ」が悪いのではないかと思われてしまうことも多いだろう。

 私たちが、お互いの個性を尊重し、響き合わせる社会をつくるという意味でも、発達障害についてのこのような番組が放送され、脳にはさまざまな個性があるということが認知されることには大きな意味があると思う。

 個人的な話になるのだが、先日、親友の竹内薫とのトークショーのあとで、児童精神科の方がいらして、真顔で、こんなことを質問された。
 「茂木さん、失礼ですが、子どもの頃、発達障害と診断されたことはありませんでしたか?」
 一瞬びっくりしたが、事実をそのまま答えた。
 「いいえ、ありません。しかし・・・」
 しかし、現代の診断基準ならば、私が発達障害と診断されていた可能性は十分にあると思う。
 私は「一人学級崩壊」と言われるくらい落ち着きがなく、じっとしていられない。
 そのトークショーでも、竹内がゆったりと座っていたのに対して、私は立ち上がったり、歩き回ったり、いつものようにやっていた(私を知っている方ならば、わかりますよね)。
 私は発達障害かもしれないし、そうでないかもしれないが、なんとか生きている。
 とっちらかっていることで、いろいろ大変だったり、迷惑をかけることもあるけど(ごめんなさい)なんとか生きている。
 ただ、一つ思うのは、自分の個性はなかなかわからないということである。
 実際、私は、自分が「一人学級崩壊」と言われても仕方がないくらい落ち着きがないということに、十年くらい前まで気づかなかった。
 他人から見れば、一目瞭然だったのかもしれないが。

 それくらい、脳の個性を知ることは難しい。
 だから、この番組のように、お互いの個性を見つめ合って、対話を始めることが必要なのだと思う。
 番組スタッフの方々、よい番組をありがとうございました!
 (発達障害かもしれない、一視聴者より)


BlogPaint

↑このページのトップへ