月別アーカイブ / 2017年05月


バンクーバーから東京に戻る飛行機の中で、映画『ヒドン・フィギュアーズ』を見た。
すばらしかった。

アメリカの宇宙開発の影に、技術的な計算をして支えた黒人女性たちがいた、というのがテーマだが、ここから予想される範囲を超えた「ディテール」の描き方に、この映画の奥深い魅力がある。

時代は二度と繰り返さない。その時々の常識や条件の中で、人々は一生懸命生きている。

今から見れば愚かだったり、不思議だったりすることが当時は自然だと思われていて、それに疑問を投げかける、そして変えていく時に人々に要求される勇気。
彼女たちは悩んで、恋をして、転ぶのだけれども、あくまでもひたむきだ。
時代を変える本当のヒーローとは、目立たずに静かに努力している人たちなのだと思う。

映画は、「数学」や「論理」というものがいかに時代を変える力になるかということも説得力を持って描いていた。

最後に、モデルとなったKatherine Johnsonさんがアメリカの民間人最高の栄誉と言われる大統領自由勲章を得た、という文字とともに彼女のほんとうの写真が出たとき、胸にこみあげるものがあった。

「ムーンライト」でアカデミー助演男優賞を得たMahershala Aliさんがこの映画でもすごい存在感を見せていて、本当に注目される俳優さんになったのだなあと思う。

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バンクーバーは、15歳の時に初めてきた外国。

週末、バンクーバーの南にあるリッチモンドに移動して、ホストファミリーが住んでいた家のあたりまで走ってみた。

ホテルから、家まではグーグルで3.5キロ。
 
実際には、裏道を通ったり、いろいろぐるぐるするので、ちょうど往復10キロくらいになった。

住宅地の中を走る。大きな家が多い。芝生も広い。15歳の時に見て、びっくりした光景だ。

でも、しばらくそのあたりに来ていなかったので、すべてが不確かだ。

家に近づいてきて、気持ちの良い小径があると、ここは、自分の性格からして、よく歩いていたはずだと思う。

家から少しのところにある小学校。芝生の校庭が広々としている。

ここで、ホストファミリーの二人の息子、トレバーとランディーが、お父さんのジムとフットボールの練習をしていたはずだ。

それを、「あんな形のボールをよくつかめるなあ」と思いながら、私は感心して見ていたはずだ。

すべてが曖昧である。
しかし、風景に出会ったとき、「フラッシュ」して、「ああ、ここが!」と思うような瞬間がある。

その時、なつかしさの感情がこみ上げる。

過去は、その現地と協力して、つくりあげるものなのだなと思った。なつかしさの気持ちも、そうして暗い無意識の底から持ち上げられていく。

いよいよ、その住所のある通りに来た。

「あっ!」と思った。

これは、本物の再認識で、道路の真ん中に緑のベルトがあるのを見て、「ああ、確かにそうだった!」と思った。

北の方向を見た時に、遠くに山が見えたのも、「ああ、そうだった!」と思った。

記憶の確かさと、風景と協力してつくりあげる過去には、グラデーションがある。

その家は、もう建て替えられてしまっていると聞いていた。

住所に近づいた時、ドキドキした。

見慣れない、現代的な、大きな家があった。
その、新しい家の前で、セルフィーを撮る。
 
心細さと新しさへの昂奮で玄関を入っていった、15歳の自分の気持ちがよみがえる。



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東京の都立高校で、生徒指導の一環として「地毛証明書」の提出が求められ、保護者が「髪の色が栗毛色」「縮れ毛である」と書いたり、子どもの時の写真を添付することを求められるケースがある、というニュースに衝撃を受けた。

正確に言えば、「衝撃を受ける」とともに「日本の世間ってそんなものだよな」という第二弾の驚きがきて、そちらの方がより衝撃的だったかもしれない。

記事によると、このような方針をとっているのは、「私立高との競争が激しく、生活指導をきちんとしていることを保護者や生徒にアピールするねらいもある」とのこと。

つまり、日本の「世間」は、「髪の毛がちゃんとしていないと生活指導ができていない」という印象を持つということだ。

そのことについては、思い当たるふしがある。

先日、私はある就活イベントで、とても素敵な社長さんとお話した。

お人柄も、経営方針も、すべて素晴らしかったのだけれども、ただ一点、就活生が髪の毛を黒くしてくるのは「当然だ」とその社長さんがおっしゃったのには、心底驚いた。
その社長さんによると、会社の業態として営業が多く、「社員が黒髪でないと、クライアントの受けが悪い」というのである。
つまり、日本には、そのような「世間」があるということだ。

続けて、社長さんは、「社員や、就活生が黒髪になるのは、当然です。こちらもプロですから」とおっしゃった。

ぼくは本当にびっくりして、それから1分くらい、どうしてそのような考え方が間違っているのか、人権問題であるのかをお話したが、就活生中心の会場はしーんとして、どうやらそのようなことを言う人をあまり見たことがなかったようだった。

言うまでもなく、髪の毛が「黒い」のがデフォルトだというのは、全く根拠のない思い込みに過ぎない。

直毛が当然、というのも、全く根拠のない思い込みに過ぎない。

世界を見れば、いろいろな色の髪の毛があって、縮れているひともいるということは明白だが、世間は、「日本人は髪の毛が黒くてまっすぐなのが当たり前だ」と思っているということだろう。

さらに言えば、日本人だって遺伝的にいろいろな人がいる。 「日本人は髪の毛が黒くてまっすぐなのが当たり前だ」という仮説は成り立たない。

そのような世間の思い込みが、いかに愚かで、ツッコミどころ満載かということは敢えてここに書かなくてもわかると思うので、省略する。

問題は、学校の教育現場や、会社の社長さん(会社もまた、公的な存在である)が、何の反省もなく、「日本人は髪の毛が黒くてまっすぐなのが当たり前だ」という愚かな思い込みに従った教育指導、経営を行って、それで恥じないということだ。

私は、ここに、日本における「世間」というものの愚かしさ、恐ろしさ、そして、「長いものに巻かれて」安心して生きている人たちの、思考停止を見る。

「世間に合わせた」思考停止こそが、日本のもっとも深い病根だと私は思う。

今回の「地毛証明書」の件について、より悪いのは都立高校か、それとも世間なのか、私にはわからない。

敢えて言えば、どちらも悪いのだろう。

一つ、ここで書いておきたい。

そのような理不尽で、意味のない指導を受けて、傷つき、悩んでいる高校生たちへ。

君たちは全く悪くない。君たちの方が正しい。おかしいのは、世間であり、都立高校の方なのです。

rainbowneko
 

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