月別アーカイブ / 2017年05月

うわーさん

爪を眺めて一日が終わってしまいます。


茂木先生

神奈川県 大学院2年 25歳です。

学部のとき、就活で80社ほど受け、全滅しました。
原因はやる気が起きなかったからだと思い、本当にやる気のでる職種を探しました。

そしていま、本当にやりたいことはなんだろう?と途方にくれています。
1つずつ、丁寧に受けているつもりでも やはり落ちてしまいます。

呆然と、伸び欠けの爪を眺めて1日を終えることが増えてきました。
次切るのはここからかな、とひどくどうでもいいことに 長時間を費やしています。

大学院の研究はとても楽しいので、その時間を削ってまでする就活に意味を見いだせません。

しかし、研究が楽しくとも成績が良いわけではないので、就活から逃れる言い訳に使っているだけかもしれません。

途方もない問いでごめんなさい。
自分でしといて至極間抜けな話ですが、暇な時間、スマホや爪を眺めるのはうんざりです。
自分からアクションを起こすために、お言葉をいただきたいです。

ご回答。

そうか。。。たいへんだね。
大学院の研究がたのしい、というのはすばらしいね!
分野がわかないけど、「研究が楽しくとも成績が良いわけではない」って、そもそも大学院で「成績」ってほとんど意味ないと思うよ。意味があるのは研究だけ。

それで、「その時間を削ってまでする就活に意味を見いだせません」というのはまっとうな感覚だと思います。
普通、卒業してから就活するのが当たり前で、日本のような、新卒一括採用や、在学中から就活を強制する慣習は、はっきり言って「くるくる◯◯」だから、つきあいたかったらつきあえばいいし、つきあいたくなかったら、君の方がまともなんだから、その通りしたらいいと思う。

だけど、爪を見て時間が過ぎていく、というのはもったいないですね。

こうしなくちゃいけない、ああしなくちゃいけない、と自分を責めたり制約したりしないで、思い切って好きなことをしたらいいんじゃないかな。

爪を見る、というのは、たとえば檻に閉じ込められた鳥や動物が示す反応に似ています。

君を、閉じ込めている「檻」とはなんだろう?
それは世間の愚かさかもしれないけど、君自身も、ひょっとしたら何か思い込みがあるのかもしれないね。

ほんとうに、自由に、好きなことをやっていいんだよ!
さあ、今日から!


nounandemo

 
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政治家の方が、ふつうは読めるはずの漢字を読めない、ということが時々ニュースになる。

そして、そのことが、その政治家の方の知性や教養の程度が疑われる証拠になる、というような議論、そして風潮がある。

ぼくは、その度に、そうかなあ、と感じる。
漢字が読めるかどうか、というのは、極めて単純な指標である。

確かに、日本語で書かれた文章、特に書籍をたくさん読んでいれば、漢字の読み方も自然に覚えるから(最近はルビがふられることは少ないので、大量に読んでいても、読み方を自己流にしてしまっている方もなかにはいるかもしれない)、読めないということは、読書量が足りないとか、教養がない、ということを推定させる証拠になるかもしれない。

一方で、知性や教養の代表的指標が漢字である、という日本の知性観、学力観が、絶望的なほど単純で、幼稚であるとも感じる。
知性の強靭さとは、そのような知識のデータベースとは無関係な、思考における批評性や、緻密さ、論理性である。

いくら漢字を知っていても、論理的かつ批評的に考えられない人は、知性が低いと思う。

逆に、漢字の間違いをしても、論理的かつ批評的に考えられる人は、知性が高いだろう。

私は、そもそも、「漢字検定」を含め、「検定」の類に全く興味がない。
「検定」という、何らかの正解・不正解のテーブルがあって、それとの照合で成績や合否が決まるようなタイプのアプローチでは、ほんものの知性は測れないと信じているからだ。

つまり、漢字が読めない政治家さんの知性は、それとは独立して判断すべきだと思うが(そして、確かに、論理的思考や批評的思考の能力が疑わしいケースは多いと思うが)、漢字力のようなものが、知性の指標として使われる日本の学力観、知性観そのものが、この国の発展を妨げている幼稚な価値観である、と私は考える。

だから、しばしば、社会人の方などが脳を鍛錬するために「ナントカ検定」を受ける、というような話を聞くが、私はあまり推奨しない。

ちなみに、国会答弁などで、政治家が漢字を読み間違えるのは、そもそも答弁を官僚が下書きしてそれを棒読みしているからで、そのような構造自体が問題だ、という指摘もあるようだ。
日本の国会の審議の仕方が形骸化していることは常々指摘していることで、それはまた別の議論が必要だろう。

sammacat

ましまさん

はじめまして。ましまさんと申します。プロフィールは次の通りです。
性別→男 年齢の目安→27 職業→会社員(営業) お住いの都道府県→横浜市

私はこれまでなんとなくで生きてきました。
小学〜中学までサッカーをし、高校ではアルバイトをして自分の学力で行ける範囲の大学を受験し、大学ではサークル活動とアルバイトをしてきました。その後縁あって新卒で入社した会社を3年半続け、転職後、半年経過し、今に至ります。
しかし、どれも他人がどうするか、とかで選択してきたと思います。また、自らで選択してきた場面でもなんとなくで選んでしまっていたと思います。

何か突き詰めてきたものがないためか、判断基準がないのかな、とも思います。

結果、特にこれといった趣味も無く、何かを始めてもすぐに飽きてしまいます。

これでは今後の社会人生活や、家庭を持った際に説得力を持つことが出来なくなるような気がして不安です。

先ずはこつこつ目の前のことに全力を尽くすことが、必要とは分かっているのですが、中々そうも行きません。

甘いのかな、とは思うのですが、何か今後の人生を豊かにしていけるようなアドバイスを頂けますと幸甚です。

よろしくお願い申し上げます。

ご回答。

「他人がどうするか」で選択してきたということですが、実際には、ましまさんが選ばれてきたのだと思います。
その際、確かに、「他人がどうするか」は選択の参考にはなったのでしょうが、最終的に選ばれたのは、結局、ましまさんです。

行動するときに、他人が何をしているのかを観察することは、とても良いことです。
むしろ、この点は、ましまさんのすぐれた点だと思います。

いっそのこと、さらに深く、こまかく、他人のことを観察してみてはいかがでしょう?

同時に、観察して参考にする他人の範囲を、広げていったらどうでしょう?
そうすれば、自然に広い世界にいけます。

それと同時に、自分の内なる声に耳を傾けることも、大切だと思うのです。
自分のことを知ってこそ、初めて、他人を見た時に何か感じることもできます。

nounandemo

 
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