月別アーカイブ / 2017年01月

「グリット」、継続する力は大切だが、それは私たちの認知の癖というエコシステムの中に位置づけられなければならない。一つのことを続けるグリットは、多様なものに興味を持つという多様性があって始めて機能する。

グリットを、一本の樹にたとえてみよう。継続する力、という意味でのグリットがすくすくと長くのびるためには、根がしっかりしていなければならない。その根を支えるのは、多様な経験や教養という、土の下にしっかりと張った根である。これなしではグリットも成り立たない。

たとえば、勉強一つをとってもそうで、受験のための技術的な対策ばかりやっていると、のびなくなる。そもそも勉強のモチベーションが浅くなる。そうではなくて、入試とは関係のないさまざまな事象に興味を持って、本を読み、経験を積んでおいた方が、いざ受験勉強となっても、力強く継続できる。

一つのことを達成するという意味でのグリットの目的のためにも、多様性は必要である。ジョブズがパーソナル・コンピュータをつくる上で、Xerox Parcでたまたま目にしたGUIが必須となった。フェルマーの最終定理を証明したワイルズは、久しぶりに出た学会での情報が決め手となった。

グリットという一本の樹をいきいきと育てるために必要な栄養分が、セレンディピティ(偶然の幸運)である。セレンディピティは、好奇心に満ちた、ある意味ではおっちょこちょいの人の方が出会うことができる。グリットはモノカルチャーであってはいけないのである。

連続ツイート
 

usari さん
 
初めまして。

私は自意識過剰な部分があり、いつも自分と人を比較しては、自分が劣っていると感じる部分を隠そうとしたりよく見せようとしたりしてしまいます。自分より仕事ができると感じる相手には無理をしてでもできる自分を演出するし、自分より容姿が優れていると感じる相手といると劣等感でいっぱいになります。このせいで勝手に人の中で疎外感を感じ、仲良くなれる相手が限られてしまったり、仲良くなっても上部だけだったりします。どうやったら相手問わず堂々と自分らしく振る舞い、対等な人間関係を築けるのか、アドバイス頂ければ幸いです。

ご回答。

usariさんは、きっと感受性の強い、やさしい方なのだと思います。
だから、他人と自分のいろいろなことが、気になってしまうのですね。

こう考えてみませんか。たとえば、人間の属性がN個あったとすると、誰かと誰かを比べたら、だいたい半分くらい、N/2くらいは、自分の方が劣っているのが普通であると。だいたい同じくらいだったら優劣はつけられないかもしれないけど、それでも、かなりの部分、自分の方が劣っている属性があるはずです。

そうだとしたら、いちいち比較しても、仕方がないですよね。。。

他人は他人、自分は自分だと思って、どちらもこの地球上に息づいているいきものだと考えて、「みんな違ってみんないい」の精神でニコニコ通り過ぎる。そうすればいいのではないでしょうか。

また、劣等感をポジティヴに変えるための方法として「笑い」があります。

自分が劣っているところを、敢えて他人の前で言うことで、笑いにして、逆にポジティヴに生きるエネルギーにするということです。芸人の方は、そのようにして生きるエネルギーにしています。

何よりも、このように他人との比較をついしてしまう、ということ自体がusariさんの個性だと思われます。

ですから、そんな自分をまるごと温かく受け入れて、それでも仕方がない、それが私なんだと思うことが大切です。

nounandemo
(ご相談なさりたい方へ。 脳なんでも相談室へのご相談は、 https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1294423.html のコメント欄までお願いします)   

↑このページのトップへ