月別アーカイブ / 2017年01月

笑いはパターン認識であり、社会批評的な笑いをつくるといっても、いくつかのパターンをあらかじめ頭の中にいれて置かないとできない。そのためにはいくつも笑いのサンプルを見て、そのかたちを叩き込んでおく必要がある。

しばしば用いられるのは、差別や偏見を持つ人物を敢えて描いて、その周囲の、良識のある人たちとのすれ違い(しかもそのすれ違いに本人は気づかない)というかたちを使うことである。英国のコメディアン、スティーヴ・クーガンはしばしばこのかたちを用いる。

スティーヴ・クーガンは、「アラン・パートリッジ」というキャラクターを演じて、人々が往々にして陥るジェンダーやエスニシティについての偏見を敢えて表明して見せる。それが「すべる」ところを見せて、逆にそのような偏見を無毒化するのである。

デイヴィッド・ウォリアムズとマット・ルーカスのヒット作「リトル・ブリテン」でも、差別や偏見を持つ人物を敢えて描いて、その人がコミュニティの中で浮いてしまうところを描く。そのようにして、差別を相対化するのである。

たとえば、料理コンテストで試食している夫人が、その料理をつくったのがジェンダーやエスニックの少数派の人だと聞いた瞬間、ものすごい勢いで食べたものを吐いてしまうというスケッチがある。『リトル・ブリテン』は、そのようにして差別や偏見の滑稽さを描くのである。

『リトル・ブリテン』では、車椅子の青年を世話する人や、村で一人のゲイの若者といった設定を用いて、偏見や差別と、現代の良識のすれ違いを短いスケッチで見事に描く。その背景にあるのは個人の尊重に対する現代的感覚であって、それなしにはコメディは成立しない。

連続ツイート
 

てつしうさん
 
茂木先生、こんにちは。

落語研究会に所属している高校一年生です。

茂木先生はブログの中で、政治的批評に基づくコメディ文化が日本でも浸透するべきだと主張されています。

そこで質問なのですが、
 

古来から落語は世の中を風刺して笑いを取るものでした。

それならその風刺の対象を時の政治に向ければいいので、相性はバツグンだと思います。

茂木先生の考えをお聞かせ下さい。

ご回答。

落研! いいですね!

ぼくも落語は好きで、よく移動中などに聞いています。飛行機に乗ったときはオーディオプログラムは落語しか聞きません!

笑いはパターン認識なので、いろいろな型を身につけると応用が効くので、がんばってくださいね!

さて、ご指摘の通り、落語は相性がいいと思います。
同時に、足りない要素もあると思います。
まずは古典落語では現代の問題に届かない。勢い新作ということになりますが、その際、現代の人権や多様性の尊重、反差別などの普遍的価値観についての揺るぎない感覚がないと現代のコメディとしては足りません。

日本で社会批評的な笑いに取り組んでいらっしゃる方の中には、いわゆる「世間話」的にそれをされていて、必ずしも以上のような普遍的感覚をお持ちでない場合もあります。そうなると何のための笑いかわかりません。

これからも、折に触れ、イギリスやアメリカを中心に社会批評的笑いをこのブログでご紹介していきますので、ぜひ、何か新作落語をつくってみたらいかがでしょう!

よろこんで聞かせていただきます!

nounandemo

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