月別アーカイブ / 2016年11月

人間が「人工知能」をつくることの意味は、一つの「鏡」のようなもので、自分自身を理解したい、という衝動のようなものかもしれない。人間の「知性」の本質とは何か。人工知能が人間を凌駕しつつある今、私たちは理解したが、同時に優位性を手放した。

「知性」がコモディティティしていく今、焦点が当たりそうなのは、感性や、パーソナリティ(人格)である。感性については、かつて、ホリエモンが、「ワトソンがレシピをつくっても、それを食べてうまいと思えるのは人間だけだ、ざまあみろ」という名言を吐いた。

人格は、いわゆるビッグ・ファイヴ(開放性 Openness、誠実性 Conscientiousness、外向性 Extraversion、協調性 Agreeablness、神経症的傾向 Neuroticism)で記述されるが、興味深いのは、「正解」がないことである。

「知性」には正解がある。問題には答えがあり、命題には証明がある。最適化は、関数が与えられれば、パラメータ空間の中で正解がある。将棋や囲碁は、次の最善手という最適解を求める試みである。しかし、人格には、そのような最適化、正解がない。

たとえば、外向的な人は、内向的な人に比べて、コミュニケーションなどの点で有利で、望ましいように思われるけれども、実際には内向的な人にはそのユニークな意味がある。内向的な人にしか気づけないことや、そのような人にしか担えない役割がある。

神経症傾向(neuroticism)は、くよくよ悩んだり、迷ったりすることで、通常は困ったことのように思われるけれども、実際には神経症だからこそ、できることもある。たとえば、映画監督のウディ・アレン。

ウディ・アレンは明らかに神経症的で、その映画は、そのような傾向を全面的に出したものだけれども、だからこそ表現できること、描ける物語がある。実際、ウディ・アレンの映画は、その神経症的傾向の一つの果実であるとも言える。

進化の過程で、さまざまな性格的傾向の多様性が残ってきたのは、それぞれの性格に意味があったからだと考えられる。性格には正解がない、多様性こそが大切なのだ、ということを心にしみこませて、自分自身のユニークな人生を送りたい。

連続ツイート
 

あんぱんマンさん

 
長野県在住 中3 あんぱんです。
初めまして、茂木先生こんにちわ!質問です。高校(大学)に進学する必要は現代においてあまりないように思います。(教授志望などは除いて)学ぼうと思えば、TEDやYoutube、少しお金を払えばネットスクールなどもありますし、学びのアプローチは数多とある思います。僕は、宇宙事業に関わりたく(格安ロケット開発)、企業or就職しようと思っています。そこで、僕は高校に進学した方が良いのでしょうか?また、もし進学するとすればどのような学校が良いですか?
答えて頂けたら嬉しいです!

ご回答。

学校は、カリキュラムがあるので、そのカリキュラムに合わせて学べる、というメリットがあります。
現代は独学はもちろん可能ですが、そのカリキュラムを自分でつくる必要があります。

あんぱんマンさんは、自分でスケジュールをつくって、学びに没頭できるタイプですか?

ぼくは、大多数の人が学校に行く状況はかわらないと思います。
学校に行けない(心理的な理由も含めて)、あるいは、ものすごく熱中するものがすでにあって(プログラミングとか)、その世界で突き抜けた子どもだったら、別に学校に行かなくてもだいじょうぶですが、ふつうの人にとって、学校に行くのは一つの「保険」です。

また、学校に行っているからといって、魂の自由を確保することはできるので(何を読むとか、観るとか、聞くとか)。学校のカリキュラムで学ぶことだけは学んで、あとは自分の自由にする、という手もあります。

nounandemo



 

今回の件だけど、そもそも、「制服」ということに一般的にまつわる認知問題かな、とも考える。

ぼくが大学生の時、予備校でバイトしていて(たしか物理を教えていた)、その校長が、ある時こんなことを言っていた。

「制服の女の子が好きな男は、結局、その女の子の個性を尊重する、っていうんじゃなくて、何かの型に押し込めたいんだよね。」

なるほど、そのような側面は確かにあるな、と思いつつ、そのような傾向は、日本だけでなく、世界各地にある程度あるのだろうと思う。

日本の「アイドル」の文化は、そのような認知的傾向が、顕著に進化したものだと思う。
だから、よくも悪くも、いずれにせよ、アイドルという文化時代に、そのような傾向があるのであって、今回のことは、そのような一般的命題の一部分にすぎないと私は感じる。

別にナチスを肯定しようとしたのではなくて、以上のような一般的な傾向が、たまたま配慮なしに出てしまった、ということだと思う。

これからはナチスを連想させるようなコスチュームは、やめた方がいいよね。少なくとも。



 

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