月別アーカイブ / 2016年04月

昨日、小保方晴子さんがSTAP細胞についてのホームページを開設されましたが、今はアクセスできない状態になっているようですね。STAP細胞については、未だに論争が続いていますが、「刺激による万能性の獲得」というアイデア自体は、多方面に応用されつつあるようです。

人工知能の研究コミュニティでは、人工知能に刺激を与えて、一般知性を獲得しようという試みが進んでいます。刺激の中でも、ストレスを与えることで、それに対する適応としての知性の誕生を促そうという試みが行われているのです。

一つのやり方は、人工知能をネットにおいて、トロール(非難したり、やゆしたりする人たち)の攻撃に晒すことで、STAP性を獲得するというもので、実は、マイクロソフトのTayは、STAP人工知能の一つの実験ではないかとも噂されています。

また、グーグルが買収し、最近では売却の噂もあるBoston Dynamicsが、Big DogやAltlasなどのロボットに対して蹴るなどの刺激を与えているのも、そのようなストレスを与えることで、人工知能がSTAP性を獲得することを期待していると言われています。

また、これは川上さんに聞いた話なのですが、ニコ生で、出演者を揶揄するようなコメントが画面に表示される状況で生放送が行われるのも、そのようなストレス下で、出演者がSTAP性を獲得することを期待しているということなのです。あっ、これは、本当は表にしてはいけないお話でした。

刺激、とりわけ、ストレスを加えることで、万能性が獲得されるというSTAPのメカニズムは、実は法律の世界にもあるようで、憲法問題にそれが応用できないかと、民進党を始めとする野党の方々が検討されているようなのです。

とりわけ、憲法9条は、近年、それを改正すべきという圧力にさらされ、条文といえども、かなりのストレスを感じているとの自然言語分析結果が出されています。しかし、むしろストレス下で憲法9条が万能性を獲得するのではないかという期待も、あるというのです。

現在、憲法9条に改正圧力をかけることで、憲法9条がSTAP性を獲得して、世界最強の条文、マグナ・カルタや人権宣言に相当する黄金律になることを画策した密かなプロジェクトが進んでいるとのことで、マイクロソフトのTayもそれに絡ませようという検討もなされているようなのです。

具体的には、Tayの弟としてPeiという人工知能をネット上に登場させ、9条の価値を説かせ、それに対して多方面から攻撃が加えられて炎上することで、STAP性を与えるというプロジェクトのようです。

ただ、Tay実験の初期の結果から、憲法9条をネット上に実装して過度のストレスを与えると、STAP性を獲得するのは良いとして、そのうち「日本も核武装だ」「日本は不沈空母だ」などと言い出すのではないかとも懸念されているようです。

おっと、どうも、喋り過ぎたようです。多くは極秘プロジェクトなので、これ以上書くと差し障りがあります。私自身も、偏差値や新卒一括採用をめぐってツイッターなどで数々の炎上を経験し、STAP性を獲得する実験の真っ最中なので、つい、自分のことのように感じて、書きすぎてしまいました。

ところで、これも本当は書いてはいけないことなのですが、週刊文春、週刊新潮による著名人のスクープ記事も、書かれた方がストレスにさらされることで万能性を獲得するSTAP実験の一環だとも聞いています。今のところあまり成功していないようですが。

最後に、昨日公開されて今はアクセスできない小保方晴子さんのSTAP細胞についてのサイトですが、実はサイト自体が、人々の攻撃にさらされることで万能性を獲得する人工知能のプロジェクトだとも言われています。復活した時に、サイトがどのような姿をしているか、今からドキドキしてしまいます。

nounandemo
 

とるとさん

30歳 四月から学生 男性
 
こんにちは

知り合いにひきこもりがいます。結構長い間、家にいる。
本来であれば、こうしてこう話題にするのもその人は嫌がると思う。
かつての僕と同じように。

自分の無力さを感じています。なにかその人の為になることが出来ればと
思うのですが、実際にやったことといえばその人に怒鳴り散らして
否定するようなことを言っただけです。それ以来ほとんど
コミュニケーションをとれていません。

自分自身、ひきこもっている間、自問自答しました。
けれど、何故こうしているのか?って段々分からなくなるんですね。
なんとなく人と接することが嫌に、苦手になって
また同時に人生というのは思い通りにいかないもので、
(特に、自身に対して狭い価値観を科している場合は)
それで誰の目にも届かない部屋に閉じこもってしまう。

だから、自然に外に向けての興味、関心を生まれるのを待つしかない、とは思うのですが。

それに、ひきこもること自体は悪でも罪でもないし、ある程度家族に保護されて
社会の物差しと、違うところで生きるというのも(経済的負担はありますが)
ひとつなのかな?
と受け入れることも僕にとって大切な考え方なのか、とも思います。

やはり、ある程度、自分と他人を切り離して考えなければ駄目なのだろうか?
けれど、一日の間、狭い空間で明けても暮れても部屋にいて
新しい体験もせず人とも出会わず、半ば人生に蓋をして生きるのがその人に
とってどういうものなのか、そこに絶望はないのか、
また、あるいはそうでもせざる負えないほど社会生活が辛いものだったのか、
そして何も、いま、その人に促してあげることはできないのか、
と悩んでいます。

僕自身が自分の人生の中で、自分自身で人生を楽しみ生きることが
答えなのかもしれないとは薄々気付いています。


長文、失礼しました。ありがとう。

ご回答。

引きこもりされている方、どうして差し上げればいいのか、とてもむずかしいです。
ひとつ言えることは、あるとき、ぱっと晴れ上がるように、外に出ていらっしゃる方もいるということです。

こもっている間も、脳は働いて、いろいろ考えている。どうも、そのあたりに、大切なポイントがあるように思います。

その間に流れていく時間も、ひとつの人生だと思って、愛おしむ。そのような地点からスタートすることで、何かが見えてくるようにも思うのです。

時間って、二度と戻ってこないのですから。

nounandemo
 

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