TOEICについては、以前から批判しているが、そのポイントは、扱われている英文が、トリビアルな意味でのビジネスの「現場」に関するもの、ということにつきる。
つまり、英語として「つまらない」
このような英文を学ぶために、時間を使うのは、無駄だと個人的には思う。
どうせ英語を学ぶのならば、映画とか、文学とか、コメディとか、面白いテクストはいっぱいある。
また、このようなテストを準拠として日本人が英語を学んでいると、結局、「二流以下の英語話者」にしかなれないと思う。
本当の英語力は、幅広い教養に裏打ちされたものだからである。ビジネスの現場でも、教養がないひとは、おそらく、あまりまともに相手にされないと思う。
TOEICが出来たからといって、ビジネス相手とのパーティーや、会食などの現場で、興味深い人だと思わせるような会話など、できない。
なぜ、多くの日本企業が、このテストを参照しているのか、私にはわからない。壮大な無駄だと思う。
私ならば、その人と5分か10分話して、英文を書かせて、文章を読ませて議論すれば、だいたいの英語力をつかもうとするだろう。それで十分だ。
TOEICのスコアは、教養のある奥深い英語力を見る上で、ほとんど参考にならないと思う。
私が企業の人事担当者だったら、一切無視する。
以上が私の個人的な見解ですが、もし、TOEICに意味があると考える方や、実際に受けられた方など、ご感想、ご意見などありましたら、コメント欄にお願いいたします!!!
つまり、英語として「つまらない」
このような英文を学ぶために、時間を使うのは、無駄だと個人的には思う。
どうせ英語を学ぶのならば、映画とか、文学とか、コメディとか、面白いテクストはいっぱいある。
また、このようなテストを準拠として日本人が英語を学んでいると、結局、「二流以下の英語話者」にしかなれないと思う。
本当の英語力は、幅広い教養に裏打ちされたものだからである。ビジネスの現場でも、教養がないひとは、おそらく、あまりまともに相手にされないと思う。
TOEICが出来たからといって、ビジネス相手とのパーティーや、会食などの現場で、興味深い人だと思わせるような会話など、できない。
なぜ、多くの日本企業が、このテストを参照しているのか、私にはわからない。壮大な無駄だと思う。
私ならば、その人と5分か10分話して、英文を書かせて、文章を読ませて議論すれば、だいたいの英語力をつかもうとするだろう。それで十分だ。
TOEICのスコアは、教養のある奥深い英語力を見る上で、ほとんど参考にならないと思う。
私が企業の人事担当者だったら、一切無視する。
以上が私の個人的な見解ですが、もし、TOEICに意味があると考える方や、実際に受けられた方など、ご感想、ご意見などありましたら、コメント欄にお願いいたします!!!
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正しいTOEICだけを勉強し他の英語の言語世界に触れない
→
ただしTOEICだけを勉強し
いやそんなことわない俺は真剣に考えている、今の自分のパソコンのハードディスクの中にその一覧を書き溜めてとってあるとおっしゃるのであれば、ぜひブログ等でその一覧を出していただきたいと思います。
ずいぶん失礼な言い方になってしまったかもしれませんが、私は茂木さんの大ファンで何年も前にその頃は茂木さんは今ほど有名ではなかったですが、NHKで高校生相手に相互作用同時性の話をしていらっしゃる番組を見てからずっとファンです。これからもご活躍を期待しております、頑張ってください。
茂木さんの意見を聞いていて私が残念に思ったのは、批判だけになってしまっていて、代案となる箇所が非常に曖昧であると言うことです。英語力を掴む時に話をして英文を書かせて文章読ませて議論するとありますが、具体的にどのような話をして、どのようなことについて英文をかかせて、どのような文章読ませて議論をさせるのかといった明確なお題の一覧が全く見られない、おそらく
また基本的な英語力のある日本で最高レベルの学力を持った学生たちがほとんどTOEICだけを勉強し、それを英語力の大きな指標と考えて、「俺はTOEICで〇〇点を取ったから英語ができるんだぜ」などと考えているならばそれも問題と言えると思います。
本当に議論されなければならないのは、TOEICがダメだ、どこがダメだということではなく、現代の日本社会で必要とされる英語力ということを考えたときに、それが明確にはなっておらず、それを測る良い試験もないということが問題だと私は思っています。
したがって生産的な議論を行おうとするならば、もし日本人が
もちろん、TOEICのスコアが教養のある奥深い英語力を見る上で参考にはならないと言う主張には賛成ですが、ほとんどの日本人はそのような教養のある奥深い英語力と言う高いレベルにまで達していない人たちが大半であると言う事実を見逃しているように思います。そういった英語力の十分にない人にとってTOEICと言う試験を勉強する事は英語力を向上させる上で非常に役立つツールとなると言う事実を見逃してはいけないと思います。正しいTOEICだけを勉強し他の英語の言語世界に触れないと
目標のTOEIC800点を突破した管理職氏に対するコメントで。
「おめでとうございます。これであなたもTOEICから解放されてご自分のお仕事に専念できますね。」
つい本音が出たというべきか(笑)
TOEIC関連の書籍を多数出版され、メディアの取材も多い方です。
TOEICにしろTOEFLにしろ、かつては「スコア対策の勉強をしてもムダ」な試験と説明されていたような気がします。統計学や心理学を駆使した問題作成で正確に英語力を判定できる、という触れ込みで。だから主催者が公式問題集を出した時は少々驚きました。
近く試験内容が改定されることに関して、関連業者は無邪気に「新テスト対応」を謳った教材や講座を開発していますが、高度に発達したテスト対策ノウハウと厳正なテスト運営を堅持したい主催者とのイタチゴッコの様相で、そもそも開発時の理念からはかけ離れたテストになってしまっていることは確かなのではないでしょうか。
茂木先生がTOEICを反対しているのは以前から知っていて、TOEICなんて受けない!と興味も無かったのですが、あるときふとモチベーションが保てるかもしれないと模擬試験を買って家でやりました。
そこで、基礎が大事だということに気づき、今はTOEICの模擬試験をたまにやりつつ、基礎からやり直しています。
点数が目安となり、点数が上がると楽しいし嬉しいので、英語の基礎の勉強へのモチベーション維持には良いと思います!リスニング力も上がると思います!それになにより、TOEIC頑張る!と周りにいってから応援して貰えてるようになりました!これからも頑張ります(๑•̀ㅂ•́)و✧
勉強以外では、プラスアルファのような感じで、大好きな洋楽を聴いたり、映画を音声英語で見たり、テッドトーク見たりして楽しんでいます!基礎が固まったら今のプラスアルファの部分を大事にしたいです!
完全に同意です。
反対している人は間違いなく英語力&教養がない人です。
ただ海外一流企業の採用担当であればできますが、
日本の採用担当者は大企業も含め9割が英語力も教養もないので到底無理です。
なので対策さえすれば自分でも高得点がとれるTOEICを採用という事になります。
功績が大きい。私も3年前に940点をとってからは受験していなくて、好きな英字
新聞を読んだり洋画を見たりして英語を学んでいるが、TOEICがなかったらここまで
勉強したか疑問だな。英語の基礎力を身につけるのには役に立ったと思う。
この部分に関しては、多くの企業は応募者のすべてに会うのはコストが合わないので、書類選考でかなりの応募者を落とします。TOEICスコアは選考基準の一つにすぎませんし、それほど重視されている項目でもありません。
批判する前に、もっと調査されてはいかがですか。
よってスコアを判定する義務があるのだから
仕方がない。
2)現状「資格検定試験」が英語学習の外発的
モチベーションまたはインセンティブの対象になっており、
だから日本人の多くは英語学習を行う。
3)客観的事実ではなく内容で評価をするのであれば
大学入試を先にそういうものに変えればいいのでは。
茂木先生も大学で教えられているので、外の外部検定試験
を批判するよりもそちらを変える方が現状に対して
より良い効果を与えられると思うのですがいかがですか?
ただ、ここでいう大学入試は一般試験ですよ。
推薦入試や指定校推薦といった一部の生徒が受けるものでは
なくより多くの生徒を対象にそれを行うことが重要。
センター試験を4技能にするとかそういうレベルの話
ではないですよね?内容を評価するわけですから。
ですので中教審の動きとは切り離して、来年度から
そういう入試を行いように動かれることを期待しています。
教養のない人は日本語でも英語でも表現力が貧弱なのは一緒です。
英語はただのコミュニケーションツールということで十分なんじゃないでしょうか。
TOEICは
茂木先生のおっしゃる
人間として英語で会話をして面白い奴の実力をはかるテストではなく
あくまで
ビジネスの場でコミュニケーションを日本語と同様に英語を介してとれるか英語で仕事ができるか、英語圏で英語を言語として暮らせるかを調べるためのテストだと思います。
でも、多くの企業がTOEICを基準としているから、腹立たしい、という意見は凄くわかるし、同感です。
これはやはり、数値化されていてわかりやすいという要因がありそうです。
ま、TOEICの点数で採用してしまったとしても困るのはその企業だし、身の丈に合っていない仕事を押し付けられるTOEICだけ点数の取れる社員(笑)が苦しむだけかも。
その社員もこの苦難を乗り越えて、茂木さんの仰るような素晴らしい英語運用能力が身についたりするかもしれません。
個人的には、TOEICをモチベーションにして英語の能力を様々な手段で(ドラマ、音楽etc)上達させることに繋げるという使い方は、受験者にとっては案外良いのでは
と感じます。
ただ、TOEICの勉強だけになってしまったら英文が確かにつまらないので、長くは続かないでしょうね・・・。
TOEIC熱狂者が自分なりの英語勉強法・活用法を身に着けていくために必要なのは、案外茂木さんのような批判者の意見かもしれません。
私は県立高校の英語教員をしています。TOEICは世界基準と謳っていますが、受験者のほとんどが韓国人と日本人しか受けていないので、全くもって世界基準ではないです。
TOEICはビジネス英語力を試す試験というよりかは、約2時間は集中力続くという証明にしかならないと思います
TOEICの勉強に時間を割くなら、違う仕方で英語を上達させたいです。確かに無味乾燥です。
しかし、スコアで当人の英語レベルを測るというのは、ある意味で精神医学で用いられるDSMと同じ構造を有していると思います。
疾患へのプロセスを無視して症状のみから診るための国際基準ですが、画一的な診察が医師なら誰にでもできる反面、一人一人に対処する力を劣化させる面も有しているとされ、医師の診断レベルは結果として向上していないのではないかと疑問を持たれています。
つまり、国際基準を設けても必ずしも相対的なレベルの向上を推し測ることには無理があるといえるのではないでしょうか。
僕にはそう思えてなりません。
配信で
TOEICはまさに英語ができないことを調べる試験だと思う。
そのうえで基礎英語力を習得するには非常に効率的でいいテストだと思うよ。俺なんか大学入試の学術的なテーマよりTOEICで扱っている内容の方が軽くて面白くてモチベーションわくけどね。会話が普通にできる人は少なくとも800点はとれるはず。そういった意味では、800点ぐらいまでならかなり正確に英語力を測定できてると思うし、その先のレベルを目指すにも必要な力だと思う。
もし、2種類から選べとなればどっちを選びますか?
しかしTOEICを参考にする企業や、それの点数が高いほど就職に有利な世の中が流れています。
そうなると、多くの企業や世の中がTOEICに対する批判意識、または賛同する中でも違った視点から捉えようとする考え方をするようにならないとTOEICに対するある意味では崇拝のような考えを打破することはできないですね。
ただ企業がこの点数だけで総合的な英語力と判断するのは強引だとは思います。
攻略本などテクニックで得点アップがはかれ、実力以上の評価が結果に表れる場合もあるようですし。
私のような人間には、TOEICは点数の目安が出る分目標が決めやすいので設定値としてありがたく、もちろん目標点数に達したらつぎは600点と、勉強に励む目安にもなります。
企業に関しては何十何百の人間が履歴書を送る中、その一人一人に英語力の面接をするコトは実質不可能でしょう、なので何点以下は切り捨てる目安ではないでしょうか?
先生がおっしゃるような会話が出来る方なら逆にTOEICの点数も高いのではないかと思います、つまり英会話能力のある程度の物差しとしてTOEICは有用な物ではないかと思いますし、面接を受けるにしても「英語が話せます」からよりも「TOEICで○点です」からの方がある程度具体的で会社(あるいは学校)も判りやすいのではないでしょうか?
それに、楽しい会話、教養のある会話は日本人が話す日本語であったとしても基礎があり、そこから身につける物だと思います。
まずは会社で役立てるならビジネスが語れ理解出来るコトが重要で、そこから先輩や上司のやり方を見て、商談の仕方を習って行く物だと思います。
新入社員の営業さんなどはガチガチでとにかく自社製品の説明、価格などを話して「どうですか?」になりがちですが、慣れて来るとそこに日常の会話などが入るようになって行く方が多いですから、まずはやはりビジネス会話からで良いような気がします。
話す方が早いと思います。
私は就活を最近終えたのですが面接ではTOEICのスコアをよく質問されました。
その都度、私は面接官に『TOEICは英語を話せるかどうかを測るテストではないと思います。スコアが高いから英語が話せるとは限らない。』と述べました。もちろん、面接官の反応はよくありませんでした。
私は反TOEICです。
試験がすべてではないですが、教養溢れる人は試験くらい容易いと思います。
英語を勉強するきっかけになるなら、それで充分な役割果たしていると思う。
年一回ならまだしも、問題を作るコストもばかになりません。
採用担当の方が、それほど英語力があるとも思えないし。
必要とされている条件なら、受ける方も取得しようとするでしょうね。
TOEICは意味がないとしたら、英語を学びたいと思ってる人はまずどうしたらいいのでしょうか?
教育機関がTOEIC受験を推進
↓
英語学習者がTOEICを受験
↓
受験者が多いのでTOEICが重要視される
根底は、TOEIC受験を大いに推進する教育機関の姿勢の問題に思えます。
原点として、なぜTOEICが重要視されるようになったのでしょうか。
TOEICは一基準としてはありだと思います。
教養それ以前にビジネスの話が出来ないと、仕事上何も出来ないと思うからです。
ただ、それ以外にも砕けた会話が出来て初めて商談になるのだろうなぁと思うので、茂木さんの言うようなテストも採用するべきだと感じます。
採用者がそれを計れるほど会話力がないから今はTOEIC一本なのかもですけど。
茂木さんが英語を使う部署の採用担当だとしたら~の話なのですが、茂木さんが採用したい人ってたぶんTOEIC対策を特にしてなくてもそこそこ良いスコアを出せるんじゃないかな?って思います。なので、無駄な面接を避けるために、TOEICスコア○○○以上というのを低めの600くらいに設定して採用条件に明記して、足切りするのにはいいんじゃないかなあとは思います。海外営業などの採用で、スコア400くらいしか取れない人が書類選考でうまいこと書いて面接にたどり着いたとして、面接に来てもらって5分~10分面接して英語力を見ても英語力高いとはならない気がします。TOEICスコアを足切りの目的で採用条件として明記してもTOEICスコア高いほど有利、と思われがちですが。
2年前に就職活動を行いましたが、面接で落ちた企業の面接内容が「学生時代に~をしました。」から話を掘り下げられることなく終わった選考が大半でしたし、他愛ない会話で選考が進んだ企業は学歴やTOEIC等の「モノサシ」に頼った結果選考に進ませて頂いたように思えてなりません。
また、TOEICに関しても、真面目に学校で勉強していればそこそこ点はとれますが、リスニングとリーディングなので「英会話」という点においては全くといっていいほど役に立たないことは受験者全員が分かることだと思います。
英語に対する関心や自己啓発があって今後も自ら取り組むであろうとただ企業側が期待したいだけなのではないでしょうか?
日本だと「観測結果は否定的だ。」を外国人は「観測結果は〜を頑強に拒んだ」になるようです。
いつもコメントよませていただいて思うことは、現実と真実って違ってることが多いんだなと思います🍀
一般人の私など、真実か歪んで認識していることがおおいんだろうなと思います🐱
先生いつもありがとうございます
TOEICがだめなのではなくて、英語の学びがTOEICで完結したらだめなのでは?
ビジネスとして最低限のやり取りができる証明に過ぎないと割りきれば、充分参考にできると思います。
教養があるとか、楽しい会話が弾むかなんて、そもそも資格や試験で示せるものではないですし、むしろ面接でしか判断できないからこそ、それ以外の情報が試験で解っていることが、面接時間の有効活用に繋がるのではないでしょうか?
でもこの試験で高得点を取る人が英語ができるとは限らない
試験として目安にならない時点でダメですね
企業が英語のできる人を本当に望むならTOEICで判断せず自分の基準で判断すべきでしょう
日本語の話者である私たちも、映画、音楽、文学、科学、社会、様々なものに興味関心を持って自分を豊かにしています。そして、そうでない人もいます。
点数はあくまでも目安です。それが教養のある人間の物差しでないことは分かりきっています。
何をどう話すかは、個人の努力で、試験に求めることはないですし、試験の結果だけで重要な会議を任されるわけではないのは自明です。
先生がおっしゃるとおり、英検もTOEICもその人の教養や会話力をはかれるものではないと思うのですが、英語を勉強し続けるためのモーチベーションを維持するために、ゲーム感覚で試験を受けたりしています。
私は英会話スクールでバイトしてますが、そこ以外で英語を話す機会はほとんどないのが現状ですが、これを機にアウトプットもっと頑張ります。片っ端からから読んで、文作って狂ってみます笑
茂木先生が提唱されるように、英語の試験勉強をして、ついでに教養も身につくなら、一石二鳥ですね。
すべての勉強が一石二鳥以上であれぼ、良いなと思います。
いろんな求人を見ていると、
TOEIC600以上が望ましいのがほとんどでした。
英語がどれだけできるか目に見える物で良いとは思います。
けど、実際どれだけ英語が使えるか。なんだとおもいました。
点数だけでは決められたくないですね。
今日は 息子が TOEICを 受験し 来月は 私も受けるのですが 確かに TOEICの 試験内容は 面白くありません。そして それに 特化した 受験勉強だけするのは 非常に マズイと思います。特に 上位のスコア帯では より正確な 実力が 測りにくくなっています。普段は 満遍なく 英語を 学習して 大まかな レベルを 測る為だけに受けるのだと 割り切るべきだと思います。これは 中国語の TECCも 同じで 一つの試験で 初級者から 上級者までを 測る性質上 致し方ないと思います。 今は 2時間のマークシート試験で 出る数字が 判断しやすいせいで もてはやされていますが 企業や 学校は せめて 複数の形態の違う試験で 判断すべきだと思います。
現在、この類のテストの勉強をしています。そこで思うことは、これがテスト問題でなければこの類の文章を、例え日本語だったとしても私は恐らく読まないな、、。ということです。
社会人として問題あるかもしれませんが、私的には興味が無い内容です。でも、必要とされるのでやるしかくてやってました。
こんな考え方があると知りほっとしました。
初めて投稿させていただきます。
僕もTOEICに関しては懐疑的で、毎回出る問題のベースとかスタイルが同じだからそれではそのようなタイプの問題に対しての能力とかしか養われないような気がするのです。
大学で来月に実施されるTOEICにも応募しませんでした。就職等を考慮したら便宜上受けた方が良かったのかもしれないですし、いずれまた受けることになるだろうと思います。しかし無限懐疑ループが留まりません。
文学やコメディなどが面白いと茂木先生はおっしゃっていましたが、例えばどのような作品が先生ご自身は面白いと思われましたか?先生が大学時代の頃に読んだ英語の本で印象に残ったものはありますか?
何をどう話すかは、逆に言えば、教わって学ぶようなものではないと思います。
日本にいますから、周りに日本語喋る人は沢山いても、話し方や内容が魅力的かどうかは人によりますから。
教養や面白みは個人がプラスしていく領域だと思います!
インターネット普及以前は、X-Windowの洋書や、遺伝子、人工知能の論文とか普通に読んでたので。
茂木さんのおっしゃる通り、偏差値もTOEICも人を判断する上では大きな穴の空いたザルのようなものだと思います。
素晴らしい能力のある人がふるい落とされてしまい、いかに高い偏差値や点数なのかが重要視されてしまう。
本末転倒ですね。
こうして茂木さんのような方が声を上げて下さるのがとても頼もしいです。
これからも応援しています!
しかし正しい文法を即興的に使うための
トレーニングにはなるのでは?