偏差値に関する一番の誤解は、それで学力が測れると思っていることだろう。
学力は、本質的、原理的に、非典型的なものである。
たとえば、小学校の頃から、非可換群に興味を持つ子は、当然学力は高いが、同じ学年の横並びのテストでは、それは測れない。
<偏差値では、学力は、測れない。>
個々人の能力の非典型性を、一つひつと評価する、AO型の入試によって、初めて学力は、その伸びしろのフルスペクトラムで測れるのである。
これは、きわめてシンプルな論理にすぎないと思う。偏差値に関する虚妄は、ここに極まっていると私は考えるのだ。
学力は、本質的、原理的に、非典型的なものである。
たとえば、小学校の頃から、非可換群に興味を持つ子は、当然学力は高いが、同じ学年の横並びのテストでは、それは測れない。
<偏差値では、学力は、測れない。>
個々人の能力の非典型性を、一つひつと評価する、AO型の入試によって、初めて学力は、その伸びしろのフルスペクトラムで測れるのである。
これは、きわめてシンプルな論理にすぎないと思う。偏差値に関する虚妄は、ここに極まっていると私は考えるのだ。
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そこは納得です。
でも、だからAO入試なら計れると言われると、ちょっと首を傾げたくなります。
実施する側の能力、基準がよく分からないからです。
AO入試なら計れるとおっしゃる根拠に興味があります。
大学入試だけ変えても、その前後も変わらなくては意味がないと思います。
それ以前にAO入試自体に懐疑的ですが。
私は学びたい学問があって、教えを請いたい教授がいたからとある大学に行きました。
そっか、みんな幸せになりたくて大学行くのですか…。
ってところだと思います。
学歴=大学=就職=高収入=安定=幸せ
という価値観を日本人全体が持っている。
そこに親も子供も必死なわけです。
学歴なんて違うと気づいてはいるけれど、そこに企業なり社会がは容赦なく要求してくる。
スティーブジョブズの様に自分のやりたいことは大学にはなかったと気づく日本人はあまりいないでしょう。
欧米社会との価値観のずれはかなりの差があると思います。
子育てを社会に押し付ける思想も欧米人にはない。
基本、子育てはベビーシッターを雇って働きます。
先生の思想が現実になればいいなと私も思っています。
日本を劇的に変えてくれるリーダーは現れないかなぁ。
私立大学のAOで、例えば書類審査は志望理由書と自己推薦書だとします。どちらも書き方を教える塾があります。書類審査が通れば面接だけか1,2教科の試験です。私立は定員確保が経営上必須です。依って定員の半分以上を推薦で埋めるところもあります。定員の残りは、一般入試で得点の高かった学生が入学します。AOで入った学生と一般入試で入った学生の教科の理解度には歴然とした差があります。リメディアル教育が必要になる場合もあります。大学一年の必須科目を落とす学生もいます。AO入試を広げるなら、入学後の大学のカリキュラムも見直す必要があると思います。
いっそ、意欲のある子は好きな大学に行けたほうがいいように思いますが、大学側は選びたいんですよね。
茂木さんのお話を聞いていると、東大と天才に的を絞って書かれてるように感じます。
偏差値で学力を測ることをしている人は多くないと思います。
多くの人は偏差値で学校の評価をしているだけだと思います。
茂木先生は一部の天才のことばかりをお考えになられているように感じます。
詰め込まないとある程度の知識は身につかない凡人が多いというのが実感です。
私は泣きながら九九を無理矢理暗記させられたことに今では感謝している凡人です。
AO入試についても100%の実施には反対です。理由は2つあって、見極める側の能力に懐疑的だからで、もう1つは一人一人は確かに違うけれど、平均的な子供達が多いからです。そういう子供達を苦しめることにならないでしょうか?
子供達の置かれている環境は様々で、環境の差がAO入試で不利になることもあると思います。海外勤務のある親の子や、都会の子、資金力のある家庭の子は様々な経験が出来るでしょう。生まれた環境を子供は選べません。
確かにペーパーテストでは計れない学力はあります。茂木さんは特に天才と呼ばれる人の存在、学問や社会にイノベーションを起こせる可能性のある子供達を意識なさっているのではないでしょうか?そういう子にはAO入試でチャンスが与えられるべきでしょうが、子供達の環境の差を考えると現在のペーパーテストによる選抜もなくさないほうが良いと考えます。
そして、AO入試を大学受験で当たり前にするなら、初等教育からの変革も必要でしょうね。大学受験だけを変革してもダメなのではないでしょうか?
ただ、定期的に入試制度は変更しないと陳腐化する。
だからAO入試も良いかなとは思います。
ただ、AO入試はもうAO入試専門塾に攻略されてますよ?
しかしながら入試が全てOA入試というのも無理があるように思われます。この点に関しては茂木先生とは意見が違います。
一般的にAO型入試とは「内申書、活動報告書、学習計画書、志望理由書、面接、小論文などにより出願者の個性や適性に対して多面的な評価を行い合格者を選抜する」で良いのでしょうか?
この方式が全てだと、受験勉強に費やしてきた時間を有効に使えそうですが、本当にそうなるのでしょうか?無理に部活や生徒会に参加する生徒が増加しませんかね?内申アップのために・・・
学力検査を行わないで入試を行える教員がどれだけ存在するのでしょうか?
AO型入試よりも今の学力検査の入試の方が庶民にはやりやすいように感じます。誰もが努力すれば東大に合格できる可能性がありますから。
でもAO型入試だけならば、海外留学や帰国子女などの特別な体験をされた方が有利になりそうな気がして、家庭の経済力が合格を左右しそうな気がしてしまいます。
ただどこかの有名大学がAO型入試のみという英断をされたのならば、それは支持します。
是非どこかの有名大学でやってもらえないかな。