月別アーカイブ / 2017年01月


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ルーティーンという言葉がある。

五郎丸選手で話題になったが、「普段から同じ動作をすることで、常に安定したパフォーマンスを発揮できる」という考え方だ。


体が精神を支配するという発想でもあり、本番でもいつも通りの動きをすることで心が落ち着くらしい。

無理やりにでも笑えば楽しい気持ちになるとか、恋人のふりをしていたら好きになっちゃったとか、も同じことだ。


僕は作家なので、その日だけを200%で頑張るよりも、毎日100%の頑張りが求められる。

できる限り外部によって心を乱されない生活をしなくてはならない。というかしたい。



んな僕にとっても、ルーティーンは重要だ。同じものを食べて、同じカフェに移動して、同じ時間に仕事を始める。


気づけばカフェに入った途端に仕事スイッチが入るようにもなってきた。逆にそのカフェに行けない日はグダグダも良いところである。乃木坂46のバラエティ番組「乃木坂ってどこ?」「乃木坂工事中」を気づけばYouTubeで見てしまっている。



で、そんなルーティンの一つとして、僕はいつもお昼飯の際には同じ店に行き、同じ食べ物を注文している。ポークたまご定食だ。


食べ過ぎるとすぐに眠くなる僕にとって、ポークたまご定食は適量であり、なおかつバランスが取れたメニューとなっている。何とも素晴らしい。


最近発行された10回スタンプ貯めると割引になるスタンプカードを、発行から10日後に利用したものは僕くらいだと思う。



しかし最近、あることが気になって仕方ない







俺、ポークさんって呼ばれているんじゃない?

という問題だ。



「毎回あの時間に来るポークさん」って影で呼ばれている気がする。

店に入ると、店員さんが「来たよ。」という顔をしている気がする。

僕がポーク定食を頼むと「はい、出ました!」ってニヤリと笑われている気がする。

料理が運ばれてくる時、「どうせキャベツから食べるんでしょ。」と見透かされている気がする。

スタンプカードを出すと「もう3枚目かよ。」と呆れられている気がする。




ということで、僕は最近、やれメガネをかけてみたり、ニット帽をかぶってみたりしてお店に向かっているのですが、それもまた実は心配事を増やしているだけで


「今日のポーク、いつもと違うくね?ウケるww」

と笑われている気がしてしまうのだ。






そう考えると、あれだよね。







全く安定した精神状態をキープできていないですね、ポークさん。



前回、

歌詞における「星」の効力は悪魔的に素晴らしいう

という記事を書きました。

ざっくりといえば、


美しい歌詞って情景描写に優れていて、それを最も発揮できるのは「星」じゃない?

という内容なのですが、


言葉そのものの「美しさ」も無視できない。

とも思います。



たとえば、東京グールという漫画で、主人公金木君がヒナミちゃんに

“薄氷”という読み方を”はくひょう”と教えると同時に、

「他にも”うすらい”って読むんだ。こっちの方が素敵じゃない?」

みたいな発言があるんですが、



さすが金木!って感じですよね。



あと、SMAPが「Dear Woman」を発表した時、Mステで「日々の生活で”美しい”というフレーズってなかなか使わないから、この曲で美しいとでてくるのはとても新鮮だった。」ってゴローちゃんあたりが言っていた気がするのですが、


さすがゴローちゃん!です。
(このあと、草なぎくんが「ゴローちゃん。その感想、美しいね。」みたいなコメントして「お、おう。」みたいな空気になっているのも印象的でした。)


「君が君でいることがとても美しい」
って言葉が美しい。





それで、単純な言葉の美しさを追求しだすと、行き着くところって「古語」なんですよね。



松任谷由実の「春よ、来い」も「淡き光立つにわか雨。愛しき面影の沈丁花。」っていう古語がたまらない。

宇多田ヒカルの「traveling」の「ふいに我に返り、クラリ、春の夜の夢のごとし」や、

おそ松さんOP「はなまるぴっぴはよいこだけ」の「ここからはじめて古今東西鳴りやまぬ花 焼べるは水平線」もそう。

歌詞に散りばめられた古語ってゾクゾクしませんか?



僕はそういうのに今だ憧れている男でして、西尾維新原作の「めだかボックス」の安心院さんとかたまらんのです。

彼女がまたちょっと古い言葉を使うキャラなんです。(地球誕生より前から存在しているという設定です)


「ままならねえな。」
「その心意気や良し。」
「君に秋波を送るのは今回限りだ。」

とか。これやっぱり使いたくなるんですよ。

最近、個人的に流行っているのは「就中(なかんづく)」てすね。

「特に、とりわけ」っていう意味なんですけど、ただまぁ、使ってみても伝わることほとんどありません。


そこで「ままならねえな」を続けるというコンボをして一人悦に入っているのですが、これがまた、どんどん友達が減っていく。

ままならない話です。




で、そんな僕がハマっている漫画がありまして、


それが「東京季語譚訪」

ジャンプで「ぬらりひょんの孫」を連載していた方の新作なのですが、季語を扱った物語。

真面目な書評をブログで語っているので暇な人は見てください。


とにかく出てくる季語の量がたくさんあって、その一つ一つが擬人化されている。
ざっと春の季語を挙げますと、こんな感じ。

花冷(はなびえ):春の思いがけない寒さの戻り
朧月(おぼろづき):霞んだ春の月
水圏戯(すいけんぎ):シャボン玉のこと
蛙の目借り時(かえるのめかりどき):眠くなる時期
落とし角(おとしづの):雄鹿の角が落ちること
告天子(こうてんし):ヒバリの別名
糸遊(いとゆう):かげろうのこと


この漫画、就中、オススメです。

 
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飲み物を買ったとき、昔から「よく振ってください」を振るのを忘れます。

何か損した気分になります。

でも、ふと思うのです。

そもそも毎回忘れることなく振れる人はいるのだろうか?

買う→蓋を開ける→飲む

という一連の流れの中に、振る、という動作は中々入らない。

いや、厳密に言えば、「ラベルの注意事項を見る」→「振る」という作業であり、

一刻も早く喉の渇きを潤したいという状況で、「蓋を開ける」を止め、「ラベルを読む」という行為を挟むことは、どうしても信じがたいのだ。


もし仮に、「自分は今まで振り忘れたことはない」と主張する人がいるのなら、


その人は常にあらゆる飲み物を振っている人ではないだろうか?



例えば、コークでもだ。(最近僕はコーラをコークと言うことにハマっている)


その人は、コークだろうが、ジンジャーエールだろうが、常に振る。飲み物と分かった途端、振らざるを得ない。まるで物を持てるようになったばかりの赤ん坊だ。なんて無邪気なんだろう。


きっと友人の飲み物も振っているに違いない。そいつの後輩だったら良い迷惑だ。




例えば自販機にて、
「何か飲む?奢るよ。」
「マジすか?じゃあコークで!」
「オッケー」

チャリン、ガタン(コークを取りだす)


ワシャワシャ

「ほい。」
「え?」
「・・え?」

なんでお前も驚いてんだよ

 
しかし、まだペットボトルや缶なら良い。ぎりぎり許せる。コークを振られても、時間をおけば大惨事にならない。


だが、もしかして、


こいつはグラスでもやらかしているんじゃないか?

狂人。

飲み会にいることを考えただけで、恐ろしい。


しかし、奴も一応は人間。今まで社会生活を送ってきた経験がある。いきなりはやらかさないだろう。

事件が起きるとしたら、ふと気が緩んだ瞬間、宴の中盤のはずだ。


運ばれてきたウーロン茶。そのグラスを、奴は上下に降り始める。もちろん、テーブルはびしょびしょ、フライドポテトは湿ってしまう。騒然とする宴会場。


奴は、頭を掻きながらバツが悪そうに「つい、いつもの癖で」と言い訳する。


先程まで場を盛り上げることに徹していた幹事は、迷惑そうに尋ねる。

「酔ってるの?」
「いや、酔ってないです。」

慌てて奴は首を振り、そしてこう言うだろう。


「今日はコークしか飲んでないんで。」





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