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水谷です。今日はRADWIMPSの話。
RADWIMPSが好きって公言するの、なんかちょっと照れくさいですよね。


ニヒリスト気取っているのか、みたいな。
サブカルふかしているんじゃないの、みたいな。

「バンプじゃなくて敢えてラッド」みたいな自分に酔っているでしょ?的な。



そうやって「ズレた俺」をアピールしているんじゃないかと思われるのがすごい嫌なわけ。

嫌っていうか、どちらかというとあれだわ。そう・・厄介!


今気づいたけど、「厄介」って文字で書くとなんか目が回りそうだよね。厄介、厄介!厄介厄介。

「厄介」という文字が、見ているだけで厄介っていう。



これは「舌足らず」って言葉自体が舌足らずからしたら発音しにくい問題、と同じような気がする。


「僕、したたらす(ず)なんですよ。」
「・・えっ?」

って何度かやりとりしてますからね、こっちは。




厄介の話に戻します。

何が厄介かといえば、「自分は純粋にRADWIMPSが好き」ってことを語れば語るほど「ズレた俺アピール」と受け取られがちな点。世知辛い世の中です。


「俺はファッションじゃなくて純粋に好きなんだよ。」っていうフレーズ自体をファッションで使っているじゃんという堂々巡り。終わることなき輪廻の渦。途絶えることないメタ発言合戦。


だからもう。この際、ファッションで良いですよ。ファッショウィンプスで良いですわ。



でね。



タイトルの
「満天の空に君の声が響いても良いような綺麗な夜」
の話なのですが、


これは、ご存知RADWIMPSの「トレモロ」っていう曲の最初のフレーズなんです。


どうですか?

美しいでしょ?



最初聞いた時、すごいなと思いまして。


だって、

満天の空に君の声が響いても良い「ような」綺麗な夜

ですよ。



「響いた」ではなく、響いても良い「ような」というフレーズ。

実際に君の声は満天の空に響いていないわけなのです。





なぜ「君」は声を出さないの?だって満天の空なのに。

「すごいすごい」と声を上げてはしゃぐのが常じゃないのか?それなのに「君」は黙ったままなのだ。

何でなの?


それに答えるように、別のフレーズにこうあります。

「何もないんだってここには」と笑っている君も望んでる。


つまり「君」には満天の空は見えていない。それか視力的な問題ではなく認識の話。当たり前すぎて見えていないのです


そこでようやく「僕」と「君」の関係性が見え始めてきました


もしかしたら・・






「君」は道産子なの?

つまり北の大地、北海道にて、たまたま旅行で来ていた僕は君と出会ったのです。

あそこは空が綺麗だ。星もよく見える。君は現地ガイドなのかもしれない。僕はツアー客の一人だ。東京から来た観光客たちは空を見て驚いているが、君にとっては普通のこと。

いつもの光景。早く仕事を終えて家に帰りたいと思っている。明日も朝早い。



「自然豊かな場所ねぇ。」と中年女性グループに羨ましがられても、「何もない場所ですよ」と謙遜するのもいつものこと


いやもしかしたら君のことだ。

そこにある一つの黒い感情について気づいているのかもしれない。



旅行客たちは「将来はこんなところに住みたいわぁ。」と言いながら、この土地を見下しているという一種のマウンティングに。



「都会はゴミゴミして嫌よ。」「まぁ便利だけどねぇ。」「でも家賃は高いし。」「その分、お金がないと。」などと不満に見せた自慢を、察しの良い君が気づかないはずがない。


でも、その優越感こそが、彼女たちの旅行へと足を運ばせる理由になっていることも同時に理解している。


田舎で「都会の不満を語る」マウンティングをしたいために彼女たちは金を払っている。だからこそ君は、ツアー客に見下されることを望んでいる。



「何もないんだってここには」と笑っている君も望んでる。

の笑っている君も望んでる。というフレーズがそれを言い表しているのではないでしょうか?




そんな屈折した心境を持ち、謙遜が常となっている君の前に現れた人物。


それが僕だ。



次に続く、

「意味はないんだって僕には。」って叫んでいる僕も望んでいる。

という歌詞。




これは多分あれだろうな。


旅行に来てテンション高くなった挙句、哲学的なことを語ってしまったパターンだ。


よくある。まさに旅行あるある。誰も知らない地なら、少しセンチメンタルなことを言っても許される気がする、例のあれだ。


だが、僕がそうなってしまったことにも、もちろん理由がある。


僕はきっと、都会で生まれ育った人間。あらゆる刺激が揃っている町、渋谷で生まれたのだ。

最近は映画の見すぎて、奇跡も珍しくなったね。


という一節からわかる通り、僕は映画(や、おそらくはネット)で全てのことを知った気になっている人間。

世界遺産も誰かのインスタやネイバーまとめを見て行った気になってしまっているタイプなのだろう。

あらゆる感動を、手軽にインスタントに、手に入る時代に生きたからこそ、本当に感動するものは何かわからなくなっている。




だからこそ、そんな僕は、初めて北海道に行ってみて、




「おぉ・・!!」
とそのリアルな自然に驚いたのである。


普段は暗く、世の中の真実は全て2chに書き込まれておりテレビでは真実が語られないと信じている僕は、初めて世界を見たのだ。


そして思わずテンションが上がってしまった。同い年くらいの現地ガイドの君に、小難しい哲学を話してしまうくらいに。



そんな僕のために、君はこんな言葉を投げかける。


「真実とはね、それだけで美しんだ。」と。


何とも意味深な言葉。官能的で感覚的な響き。僕の気持ちは一気に最高潮になる。だからこそ、



「真実とはね、それだけで美しんだ。」と言って。


という願いが出てくる。


もう一回言って欲しいのだ。君の口から。でも、こういうのは二回言ってしまったら感動が半減する。君は黙って首を振るのだろう。

星々に照らせた君の綺麗な黒髪が、ふんわりと揺れる。



そんな姿を見たからか、僕は

今止まっていた景色が動き出した気がしたんだよ

と思えるのである。



「また来てくださいね。」と君は言うだろう。

僕は「もちろん」答える。

何なら「東京来た時は案内するから。」とLINEのIDを教えてしまう。

「ありがとうございます。」と笑う君の手の中には、ガイドブックがあり、付箋が貼られたページの見出しには、その土地のキャッチフレーズ「真実とは、それだけで美しい。」という言葉が載っていたりするのだ。




切ねえぇ。