家を出る時

「今日は他人のカバンばかり見る日」

って決めて他人のカバンばかり見ていたら、ご婦人の方なんかは肩から死体(しぼんだ胃袋)のようなグンニャリした形状の皮袋を吊り下げていることが案外多くて、
それはデザイナーの意図ではなく牛革が、重力によってしかたなしにグンニャリしている感じ、つまりは生活感、止むを得ずそういった形状を取らざるをえないだらしなさやるせなさがそのままぶらさがっていて、

そんなに死体みたいにグンニャリした形状のものを実際に死体と同じ素材でグンニャリさせているのは隠し事がないというか、そのまますぎてファッションになっていない、極めて現実に近い、ここで言う現実とは焼肉屋でハチノスとかギアラとかのとなりに「子宮」って書いてあるような感じの現実のことなんですけど、そういう感じ

あと居酒屋の入り口のところで氷を張ったタライに生の魚を展示してあったりして、そういうところで横たわっている魚の付近に「スズキ」っていう札が貼ってあったりするとスズキのサイドからしてみると生きている状態がデフォルトなのに居酒屋のサイドは死んでいる状態を「スズキ」のデフォルトと考えているために

「スズキのデフォルトがかみ合っていない」


それが すごい 気になる。スズキはもともと口というか言語はないけど死んでいるので輪をかけて死人に口なしみたいなことになっていると思うと、ここにも上で言ったような生活感から派生した形の現実み(そのまますぎ感)がある。

自分はそういうそのままの感じ、犬の肛門みたいな感じが苦手なのでほぼ人が住んでないけど1〜2人くらいは住んでしまっていそうな感じが漂っているゴーストタウン化した団地とか反対に税金の払い方が謎な人とか芸能人とかしか住んでなさそうな要塞みたいな建物とかの雰囲気は結構落ち着くというか、少しくらいは体の表面を漂っている自我を緩めても殺されなさそうで気が楽に思えるんだけど、実際住んでみたらどうなんだろうか。

もっと極端なことを言うともう腐ってしまっているものは人為と仕方なさを忙しなく駆け巡る運動がなくなっているので気が楽に思います。具体的な場所などをあげると怒られそうだから言わないけど。