「貰えるのがフツー」


って勘違いしやすいシステムが巧みに構築された仮の箱庭、その渦中で我々は当たり前のように貰えるのを待ってしまうことがあって

電車、スマホ、電子レンジ、テレビ、カップ麺、アイドル。待つ、出てくる。虚ろな目で順番を待つ。列の最後尾で虚ろな目で、そわそわして、スマホを弄りながら待っている 貰えるから待っている大人しく待っている正しく待っている善良に待っている全うに待っている模範的に待っている



色んな問題が同時に発生しているけど、



「待つ、出てくる」



の錯覚が私は何より怖い。他人事じゃないから怖い。暴力で他人を支配することはできないと思っている人でも電車の1、2分の遅延をツイートしたり、ガチャでゴミしか出なくてスマホを投げつけたことはあるだろうしそういうのが怖い。


人前に立つときの期待感のプレッシャーは意識の輪郭を際立たせてくれて気持ちがいい、とても好きだけど、なにか出てくるのをぼんやりと待っている人間が放つプレッシャーはとてもとても耐えられないくらい全身の毛穴から悪意を流し込まれるようなおぞましさを感じるし遮断できない。私も相手が人間じゃないからといってこんなにおぞましい意識を放ってしまうことがあるのだろうか。なにを人間じゃないって判断しているのか曖昧でも。私はぼんやりと待つのが怖い。だからいつもクロッキー帳とペンを持ち歩いて待つ自分を阻止しようと、待てばなんとなく与えてくれようとするものに抵抗しようとしている。エレベーターのドアが閉まる時間、コンビニの電子レンジで温めを見ている時間、ドリンクバーのジュースが注がれる時間、人間は、なんとも言えない、なんとも言えない顔をしている。なんとも言えない顔をしている。なんだこれは。沼だ。カイジに出てくるパチンコの名前もそんなだった。簡単で楽で気持ちいいものがばっかだと脳が全部沼になって怖い。