月別アーカイブ / 2013年03月

先日、友人が上京してきました。
友人に上京してきた理由を尋ねると、


「就職活動をする中で、とある会社の企業理念に感動したのがきっかけ」


と答えるので感動するほどの企業理念とは何か、
気になり尋ねました。


その企業は小規模なゲームの制作会社であるらしいのですが
社長と面談した際に社長が、

「僕が人生で一番大切だと思うのは、『親の死に目に会える』ということです。
 でも実際には距離が離れていたりして、確実に会えるわけじゃない。
 だけど今の科学技術が進歩してゆけばいずれどこでもドアが発明されると思う。
 僕はどこでもドアのある社会の為に助力したい。」

というようなことをおっしゃっていたそうです。



まず、この話を聞いて

当たり前のようにどこでもドアが実現する前提の流れに、



話の飛躍がSUGOI




と思いました。

続いて、

「どこでもドアがあったところで、確実に死に目に会えるとは限らないぞ」

とも思いました。

死は予測の及ばないところに唐突に現れるものです。
どこでもドアがあったとしても目の前で迎えられるという保証はないはずです。


もう少し考えると、
死を間際にした実親の目の前にいるのにお互いの心が断絶している為に、
空間の共有があるにも関わらず乖離している。死に際に即したとは言いがたい事例もあります。

つまり物理的な距離よりも、むしろ心を通わせられているかどうか、
最期の瞬間にお互いが親子として寄り添い合える関係であったかどうか
の方が重要ではないかと思いますし、
そういった物理的な距離では測れない心のつながりこそが『どこでもドア』の答えではないか


って思ったんですよね。


というか、

こんなことわざわざ文章にする必要もないかもしれません。






「親の死に目に会う」という目的の為に
どこでもドアを開発するのは解決手段として見通しが立たない上、非常に遠回りです。
さらには解決時期も「いずれ」と明示されていない上に、
解決する主体まで「科学技術」というあまりにも抽象的すぎる対象に投げています。

この会社に入社したら

我が社で「ドラゴンクエスト」のような国民的RPGを開発する為に、
いずれ入社してくる「堀井雄二」的人材が存在する社会の為に助力している最中、
アッ、今日もカツ丼がうまい!

とか言われそうで怖いな、と思いました。

あ、ちなみに友人は上京するきっかけになっただけで入社はしなかったそうです。

              
               〜HAPPY END〜

店にアラブ人が入ってきた。
この人たちは、犯罪をおこすかもしれない。
全くそんなことはないかもしれない。

店にアラブ人が入ってきた。
アラブ人はお茶を飲んでいる。静かに飲んでいる。一人はスイカジュースを飲んでいる。
一人が窓を指差して放射能が入ってくるから閉めろと言った。
他のアラブ人は彼を無視している。黙ってお茶を、スイカジュースを飲んでいる。

ところで部屋が蚊にまみれている。
蚊取り線香を焚こうかと考える。
一方で私は半身不随だから、
首から上だけでそういったことを考える。

アラブ人は山羊のように澄んだ目で私の顔を見つめ、金を払わず店を出た。
顔が隙間なく蚊に刺されている。

僕は、もう少しコーヒーの値段を下げればもう少し多くの客がくるかもしれないと首から上だけで考える。

さっきアラブ人に出したスイカジュースは、母が死ぬ前に残したスイカをミキサーにかけて作った。
こんなことになるならスイカジュースは品切れですと言えばよかった。
半分に切ったスイカの赤い表面、大量の蚊が止まっている。

冷蔵庫の中に妹がいる。
妹はクッキーを焼いている。
冷蔵庫は外側からは開閉ができないのだけれど、
クッキーを焼いている間は昔の人が天井に吊るしたヘチマから水がたれてくる。
妹は32年3ヶ月23日前に生まれて、
僕は妹に関して、今クッキーを焼いているのか、そうではないのか、ということだけを知覚する。

僕はさっきまでアラブ人がいた机の上に千円札が二枚のっているのをみつけて泣けてきた。

なんで死体を燃やすんだ、悲しいじゃないか。
あと5分で役所の人が死体を取りにきてしまうのに飲み残しのスイカジュースのコップの表面は水滴が覆っている。

私は自宅近辺の喫茶店でアルバイトをしています。

50年くらい営業している喫茶店なのですが、
現在のマスターが経営を始めたのは30年くらい前のことだそうです。

還暦を過ぎたマスターがお店に立つことはあまりないのですが、
来店してカウンターで読書や語学の勉強等をされていることが多いので
お話をする機会は結構多いのです。

マスターはここしばらく中国語の勉強に熱を入れているらしく、
中国語のテキストを開いて勉学に励む姿をしばしば見かけます。

風貌は、松本人志の「働くおっさん劇場」に出演されていた野見隆明氏に驚くほど似ています。
風貌のみならず、しゃべり方、服装、センス、等多くの点が氏に類似しております。

473.jpg
野見隆明氏


マスターの性格を一言で説明するとすれば




「ピュア」





これにつきます。


ピュアであり、己のうちに内在する世界、信念を何があろうとも貫き通すとこが、
マスターにとっての絶対正義であり真実の世界なのです。


先日、バイト仲間の年下の女の子が急に体調を崩して早退したので
代わりにマスターがシフトに入ったことがありました。
その日は私も出勤していたので、キッチン:マスター、ホール:私という布陣に相成りました。

早退した女子は極めて心優しく、常に謙遜と気遣いの心を忘れない
珍しいくらい性格の良い方なので、それだけに早退がかなり深刻な事態なのではと心配になり
マスターに

「彼女が心配ですね。大丈夫でしょうか」

と話しかけたところ、マスターは

「みんな彼女のことを可哀想だ、というよね。
でもよく考えると代わりにシフトに入らなきゃ行けない僕の方がよっぽどかわいそうなんだよね。
でもみんなはそこに気がつかない。なぜなら子供だから。もっと大人にならないといけないよね。
想像力が足りていない。悲しいことだけど僕は怒りませんよ。なぜなら大人だから。」

と、微笑みながらおっしゃっいました。

こんなにもピュアで己の内的世界に絶対の信頼を寄せる人間にはなかなか出会えるものではありません。
私はこの貴重な出会いと発見を、ある側面に置いては神に感謝した次第でありました。


そんなマスターですが、本日もカウンターにて勉学に励んでおりました。
普段は邪魔にならないようにあまり干渉しないのですが、
卓上に開いた中国語の教本の中に無数に、執拗なまでの鉛筆の書き込みがあったので、
つい目が走って、洗い物をする傍ら、教本の中身を目撃してしまいました。



そうです、目撃したのです。



教本の例文には、

日本語訳:あまりに僕の好みのパンティーなので、興奮が止まりません

日本語訳:もっと近くで見せてください

日本語訳:直接的に触れる方法はありますか?

等、

確実に、ある一定の指向性を持った文章の記載が連なっていました。

無数の書き込みは中国語だったので、幸いなことに残念ながら判読できませんでした。

隣に広げたノートには、

ナンパ=〇〇(中国語なのでよくわからない)

と書いてあった。



マスターはこれらの文章を、あるいは声に出し(中国語)、あるいは筆記し(中国語)
何ら隠蔽することなくひたむきに学習していらっしゃいました。

その、決して臆することのないストロング勉学スタイルに強い衝撃と感銘を受け、
改めてマスターのピュアな側面を認識し、
私の中でマスターの存在が一段階ランクアップしたような感覚がありました。


なにか、言葉を発したい、
という気持ちもなくはなかったのですが、


あまりに澄んだ眼差しで

「section 5 妊娠」

の項目を見つめるマスターに、もはやかける言葉が浮かびませんでした。

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