月別アーカイブ / 2012年12月

小学校の時、一時期学校行くのやめてた。


私の母は元々心配性なところがあり、心配のあまり様々な治療を試みた。

気をおくるおばさんに気をおくってもらったときはおばさんに
「感受性は強いけど拒否する気持ちが強くて気が入っていかない」
というようなことを言われた。

単純におばさんからかなりいやな感じの気配(セックス、お金、暴力が好きそうなおばさんだと思った)
がしてリラックスできず触られるだけで体が強ばっていたせいだと思う。


そして治療の一環として中国人がやっている「波動の水」を売ってくれるカウンセリングみたいなものを受けた。(事前説明なし)

なにやら建物の一室が病院と大学の研究室を小規模にして折衷したような雰囲気になっているスペースに
白衣を着た30代の女性がおり、
私の腕をまくらせて電極でパソコンとつないだ。
私が小学生のときのパソコンなのでブラウン管テレビみたいにぐっと奥行きがあって、でかい。
そのパソコンの画面にエクセルの表みたいなやつがあり、
表の欄に、

「家族」
「睡眠」
「過去」
「友人」
「運動」

等、まとまりのない単語がずらずら並んでいる。
そして女性がビーカーに入れた水を見せながら、
「これはどう思う」
「これはどう思う」
と質問を繰り返し、私が質問に答えると表に記載された単語の隣に「睡眠…8」等と
よくわからないポイントが加算されていくのだった。
そしてひとしきり数値をのせてると女性は、

「なるほどー。過去や境遇に対して不満を感じていながらも最悪の状況と感じているわけではないようですね」

と言った。

そんなことを言われてもどう反応すればいいのかよくわからない、
と思ったけど その時は初対面の大人なので小学生なりに一応気を使わないといけないのではと思い、

「自分ではよくわからないのですが、そういったそく面があるのかもしれません」

などと返答した。

すると女性はにわかに真剣な表情をして

「これはかなり重要な数値で、他の数値がどうあれこの数値さえ良ければ後は問題ないのですが…」

と言って、測定を開始した。

モニター上の

「幸福」

という文字の横に数値が加算されていく。

結果

「13」

という数字が表示された。

女性は深く息をはいて、
表情を変えずに「なるほどー13ですか」と言った。

これ以上の気まずさを味わうのは勘弁したいので、ここはひとつ好意的な対応がしたいところだったが、
「13」っていう数字が高いのか、低いのかさっぱり分からない。
そもそも基準である「幸福」という指標自体も曖昧すぎる。

何がその場においての正解なのか分からないのでとりあえず
「あー13なんですか。知りませんでした。なるほどー」と言った。

そうしたら女性は、
「よかったー。ほんとうによかった。他でどう感じていたとしても、幸福が13あるのであれば問題ない。
よかったー。13ある」
とか言うので、なんかいい結果だったみたいなので安心した。

私は高校の同級生の顔をほとんど覚えていない。

もともとはまじめ人間で記憶力もわりと良かった。

ところが高校生くらいになって自意識が発達しはじめると自分の痛々しさに耐えられなくなり、
過ぎ去ったことがあまりに鮮明に脳裏に焼き付いていると苦しみが強いので
無意識のうちに、意図的に記憶をあやふやにして精神を防御するくせを身に付けていた。
そのせいで印象的だった感じのできごともあまり記憶がない。


高校の友達に話を聞いていくつかエピソードを思い出した。


エピソード①「前世」

体育の時間にやることがなくてたいそう座りをしてぼーっとしているときに
その辺に落ちていた木の棒で熱心に地面に落書きをしていた。
隣に座っていた友人はかなり心の優しい人だったので、

「しずちゃん、なに描いてるの?」

と、話しかけてくれた。
私は質問を無視して、

「この木の棒ももちゃんの前世、この木の棒ももちゃんの前世」

と言った。(全く記憶にない)

ももちゃんには他にも
シャッター閉め子とかサイコロとかいろんなあだなつけてごめんなさい。
すいませんでした。
当時一緒に楽しい時間を過ごしてくれてありがとうございました。
あとファイナルファンタジー7の映画を見る為に貸してくれたPSPの充電を切らしたのもすいませんでした。


エピソード②「シャボン玉」

高2のときの国語教師はかなり心が優しく、教師経験が浅いおっとりした雰囲気の女性で
見た目もかわいい感じだったのでわりと生徒に好かれていた。
(名前は思い出せない)

私は授業中なぜかシャボン玉で遊んでいた。
最初は先生もスルーしてくれていたが、
そのうち教室中がシャボン玉だらけになり、流石に無視し続けることができなくなったので

「水野さん…これはどういうことでしょうか?」

と聞かれた。

窓際の席だったので、

「なんかよくわかならいけど窓から入ってきました」

と答えたら先生は

「そうですか…」

と返してそのまま授業を続けた。



③「腹の立つ坂田」

②ででてきた国語の先生は優しくてよかったけど、嫌な人間もいた。

高2〜3のとき担当だった英語教師である。
彼はアホの坂田から愛嬌や可愛らしさを取り除いて
野田総理の腹立つ感じをトッピングしたような風体だった。

今思うと性格はそんなにものすごく最悪という程でもなかったと思うのだけど、
あまりに外見の感じとしゃべり方の印象が劣悪すぎる、英語の発音がど下手、
調子に乗りやすい、人をバカにするのが好きな性格、等のせいで生徒にゴキブリ並の嫌われ方をしていた。

私と友達のももちゃんも、坂田のことが大嫌いだった。

ある日ももちゃんに

「坂田むかつきすぎてまともに話聞けないけどかと言って英語の成績が下がるのはいやだしどうしよう」

と相談された。根はまじめだった。


私はしばらく考えた。



数日後、



「ももちゃん、いい方法思いついた。坂田の話を聞いているときに坂田のおでこにフォークが刺さっているのをイメージしてじっと見ていると、むかつきがかわいそうさとブレンドされて和らぎ、さらにビジュアル的なあほらしさも相まって話を聞くのに耐えうるくらいにはなる。」

実際ももちゃんは英語の時間に空想フォーク刺さりを実践して、

「すごいいい方法だね」

と言った。



ただ空想フォーク刺さりには一つ難点があり、
それは人間が、他人の痛みには鈍感で、いずれ慣れてしまうとい性質を持っている為に、
フォークが刺さっているのを長時間見ていると、
だんだん「それがどうした」という気分になってくるという点である。



せっかくいらつきが治まりムヒを塗ったような気分になっていたのに
むかつきがしつこいかゆみのようにぶりかえしてくる。

私は空想上で坂田のおでこにもう一本フォークを刺した。


その時ももちゃんは、

”坂田が巨大ミキサーに閉じ込められていて自分がそのスイッチをいつでも押せるように握っている”

という空想でなんとか話を聞いていたらしい。



まじめな人は怖いな、と思った。

私は中学、高校と名古屋の学校に通っていた。

高校3年生のとき、先生が


「名古屋は終わってる」

と言った。

よく意味がわからなかった。







2年後、意味が分かった。






高校卒業後、私は大学受験をして東京の大学に通っていた。

20歳になる年の明けに名古屋の高校から、

成人式パーティーをやるので出席者は連絡をください、と手紙が来た。



私が通っていた高校はお嬢様校っぽい感じで、

大学生になってからも

「医者と弁護士集めた合コンやるよー☆出席者は連絡」

というメールがきたりしていて、

いやー私には意味分からんノリだわ

と思ってスルーしていたので、なにか一抹の不安感というか、

形にならない妙な胸騒ぎのような感覚があった。



パーティー当日


趣味で着付けをしている母に、紅型染めの素晴らしい振り袖を着せて頂いた。

そして晴れやかな気分でパーティー会場である

"キャッスルホテル名古屋"

へと向かった。



"キャッスルホテル名古屋"は名前の通り名古屋城が見渡せる羨望を売りにしたホテルである。


他地域の方には理解し辛い感覚かもしれないが、

名古屋人にとってはオーシャンビューならぬ名古屋城ビューが最高の贅沢とされているのだ。


そして会場であるメインホールには、

華美で豪奢な様を美徳とする名古屋人の感性、

DNAに刻まれた名古屋人の本能に従い、

煌びやかで高級な振り袖を身にまとい歌舞伎町のホステス顔負けの様相を呈する女性、400人が集い、

クンブメラーのガンジスを彷彿とさせるような彩りと混沌の渦、

名古屋人の情念の集大成とも言えるような一つの曼荼羅図が描かれていた。



会場に設置されたクロスをかけたテーブルに、続々とオードブルが運ばれていた。

海老フライやエビのにぎり寿司が華々しく盛りつけられている。

司会が乾杯の音頭をとり終わると、衆目の視線は赤いビロードのカーテンに向けられた。


「名古屋城のご開帳であります!」


この日のクライマックスのシーンであった。

厚いカーテンが左右に引かれると、自然と拍手がわき起こった。

そして観衆は海老フライをつまみながら金のシャチホコを心ゆく迄堪能したのだった。




ここまで分かりやすく見事に型にはまる名古屋…



「終わってるな…」



かつてピンとこなかった先生の言葉が心にしみた。



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