『何かを成し遂げなければ』




などという強烈な焦燥感に振り回され、計画もなく、バタバタと動き回り、妄信し、我を忘れている間にコロリと人生が終わってくたばったら身もふたもないけど、そうなってもおかしくなさが氾濫している。



自分はその辺りの自我の叫びみたいなものはある程度受け流してリラックスしていたいというか、本当に感じとるべき自分にとってリアルで直感的な感覚が消え去るような事態を避けたい。焦って脳のモードが変わった途端にどれほど多くのものが見えなくなるか。脳の仕組みからして社会的なつつがなさに多少ハンデのある立場上、シビアに脳の状態を監視しているのでそれは、やや自覚があると思う。


しばしば自分にとってある程度信頼できる感覚を持っている人たちまで「他人と比べてどれくらい安心できるかゲーム」が引き起こす飢餓感に巻き込まれているシーンを目撃することがあり、やるせない。人生、散漫なレイヤーが無数に重なって全体的な見通しが一つもなくうやむやに事が進行している状態に翻弄されがち。道端で拾った若干水晶っぽいただの石に特別な思い入れを持って一生特別なそれを覗き込み続けてオワリ そういう風でいい。自分は


寂しさとか不安とか心細さとかが増大し続けていくのは知識や経験が増えて基準になるものや比較可能な対象が無限に増え続けるからで、処理に費やす時間が圧倒的に足りない。1:100000くらいで足りない。周りについていけなくなってマイペースな人みたいになって一向に構わないので入ってきてしまったもの一つ一つに意味づけする作業が必要だ。自分にとってそれはどうしても必要だ。放置すると気づかないサイレントな混乱を引き起こす。


「正しいもの」は幻想だし、ないのに正しいかどうかの判断、吟味に過剰なコストが費やされている状況を目視することが多く、徒労にまみれている。自分もamazonレビューとか見てると☆3.4くらいの品物には何か欠けているものがあるのではないかと思い悩み、完璧なものがどこかに存在しているという幻想を安易に抱きがち。


焦りは脳が作ったバーチャルへの働きかけでしかなく、脳内のパニックに脳の外部装置として拡張された身体がバーチャルの所在をはみ出してオートマティックにダンスしているだけ。自分はダンスと思想が一致せず常にズレが生じるタイプなので「マイルド(物事を点や面で見た瞬発的な印象に囚われず余白や余韻を含めて空間的に味わう態度)」かつ「ソリッド(社会的要因や合理的事情によって付け加えられる肥大化した雑念の多い意識に目もくれない姿勢)」を貫き通したい。18歳くらいのころは過激思想で「マイルドなものはみな殺す」と思っていたが「ポジティブな曖昧さを持って拡散した意識でファジーに捉えながら大雑把でも構わないという心持ちの大局観」くらい大げさに揺らぎを許容する態度でものごとをとらえないとどれほど多くのものを見逃すか、認識のマシーンになり生活様式の牢獄へ堅固に収納されるかということを20〜23歳にかけて痛感した。ゴリラ & デュエル with やき芋 without ふかし芋 Forever 21。


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あほ
バカ
しね
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10月7日(土)テレビ東京
「おしゃべりオジサンと怒れる女」
に出るので見てください
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9月30日発売のbis(光文社)
玉城ティナちゃんをインタビューしてます(イラストも)
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読んでね☆

我々が必死に向かうものは、ひとかた残らず我々にとっての首長族なのだ。
(BLEACHポエム風)

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ダサい。いつ見てもダサい。


家の鏡で見るとちゃんとしているのに、外出先のガラスにうつった自分は乞食そのもの。要するに、家そのものの磁場、空間自体がダサいエキスの万華鏡なのだ。そんな家早く燃やした方がいい。

オシャレしてもオシャレしたせいで、がんばりがマイナス面の評価となって表出しダサい。

今日はダサくないかと思いきや、靴下だけものすごくダサい。全部ダサいよりワンパーツダサい方が本質があらわとなりよりダサい。最悪の結末を迎えた。
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つけまつげを付けると目とつけまつげの間のスペース、深遠なる余白が殺しにかかってくる。ダサいとしか言いようがない。ダサい。

オシャレな人はオシャレにしているのではなく存在そのももの在りようそれ自体がもう根本的にオシャレ。

ダサく在るものの逆方面への努力、足掻き、自己破壊は本来の姿を際立たせるエッジとなりミラーボールのように乱反射するだけ。納豆が大豆に戻らないように、ダサいという魂由来の抜本的腐敗は除きようがない。その腐敗を「発酵」というポジティブな印象に置換できるかというところに望みの低すぎる唯一の希望が託されているが、そんなことは起こらない。現実は非情である。

しょうもないタンクトップが一度身を委ねて仕舞えば奈落の底まで地獄下りの甘美な誘惑を醸し出す。瞬間 意識が途切れ、なに一つ苦しみのない楽園に放り出される。ただしその楽園はとてもネバネバしている。
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「今日はスパンコールの付いた服を着てるからアクセサリーがいらない」
ちょっと待ってくれ。そんなルールどこで聞いた。こうなったら人間狩りだ。オシャレの脳を喰い、存在をアップデートするほかない。

誰も教えてないのにこぞって唇の上辺りにハイライトを配置し下唇をコンシーラーで消している。なにかがおかしい。要するに、アカシックレコードにアクセスしている可能性がある。


我々は今日も不合理な銀の輪を我々の首に重ねそれを伸ばす。まるでもとの長さなんかは初めからなかったようなフリをして。少し伸びた首を傾げて。
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明日のイベント前売り券が今日の18:00までなんだが、今回告知忘れて全然してなかったから会場に誰もいないんじゃないかという強い不安にかられている

http://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/68732

ゲスト呼んでないので粛々と集まる秘密結社のような感じにしたいので粛々と来てください(最近カリスマサイドの稼働が多いからあえてソロイベントにした)

ツイッターで大々的に告知するっていうよりかなんとなく聞きつけてそういう感じの人が必然的な感じで集まってるムードにしたいんだよね

うっかり間違えて入って来た人が2秒で出てくくらいのムードです

「金輪際」って手描きしたハチマキを会場で販売します。それはもうけが目的じゃないので原価で100円くらいで売ります。買った人はその場で付けてください。なるべく多めに作ります(今から)

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なにか力になりたいです


カリスマサイドっていう演劇のようなダンスのようなパフォーマンスのようなユニットをやっています。
今年の4月くらいに立ち上げたユニットでまだ立ち上げから2ヶ月くらいしかたっていないのですが小規模なものを含めるとすでに3回公演をやりました。この団体は商業的なバイアスを受けずに、つまり現段階ではまだほとんど大人(自分も年齢的には十分大人だけど)の力を借りずにワクワクする事をやろうという方向性で運営しています。

前例のない事をやろうとしているのでどんな集団なのかわかりにくいのですが、NACAR DENGER GANGやChim↑pomのような独自性がありインディペンデントでポップで文化的で時代性に即していて、かつ一回性の強い今目の前で起こっていることを見せる公演をやっていく集団です。私はそういう感じにしたいと思っています。全然違うかもしれないけど。



そのカリスマサイドについてちょっと言及したいことがあってブログを書いてます。



私のブログのせいで二次被害が広まってしまったら申し訳ないので詳細は伏せますが、メンバーの通っている大学の同期の人間が『匿名掲示板でそのメンバーのことやカリスマサイドのことを名指しでディスっている』と教えてもらったのです。

かなり色々チェックしてくれて多分公演も見てくれているみたいなので、このブログも読んでくれている前提で言いますけど





あのー、単刀直入ですが入りませんか?カリスマサイドに






なんでこんな事を言うかというと、わかるんですよ気持ちが。

「わかる」っていうと大げさで身勝手で、本当は他人の気持ちなんかわかるわけがないので概ねの輪郭をなんとなく想像してしまうってことなんですけど、その同期の方は芸術系の大学生で、そろそろ就職活動や今後の進路について具体的にイメージしなければならない時期なので、多分煮詰まっちゃってるんだろうなあって。
勝手に予想されて遺憾の意を抱いていらっしゃるかもしれませんが、私も美大生だった時にすごく苦しくて煮詰まっててやるせない思いを抱えていたのでなんとかして力になりたいなあと思うんです。


だから入りませんか、カリスマサイドに。よかったら。


けっこう叩くっていうのもエネルギーのいる行為で、情報を収集して自分なりに咀嚼して弱点と思われる部分を発見して共感を得るような形でアウトプットしなければいけないので、そこまでしてくれるということはどんな形であれカリスマサイドに関心を持ってくれているということだと思うんです。カリスマサイドはまだ世間的にはなんの集団か全く認識されていないし、走り出したばかりで実態を構築している最中で広告的な働きかけもまだ全くしてなくてまとめブログにも「水野しずとミスiD」ってまとめられるくらいで集団の名前すら出してもらえてないのに、そんな段階で興味を持ってくれに熱心に追いかけてくれてるってそれがネガティブな志に根ざしていようが嬉しいです。私は。関心を持ってもらえるってありがたいです。

なぜなら私が美大生の時に抱えていた苦しさが、自分が作品を作ってもそれを社会に向けてどうプレゼンテーションしたらいいかわからなくてコミットできないとこに対する歯がゆさや、自分のどうしようもない不器用さからくるものだったからです。

もっと広い視野で世の中を見て自分から積極的に関わっていけばよかったのですが、クラスメイトに話しかけることすらできなかった私には積極的に自分を出すことができませんでした。もっと言うと、自分なんか見せると大体周囲に混乱をもたらすのであんまり見せちゃいけないかと思ってました。


そういう私を救ってくれたのは例によってインターネットでした。


当時の私はSNSに強い抵抗感を抱いていました。

私にとってインターネットは匿名という態度で接するべきものだったからです。しかし2011年の震災でそんなことも言っていられないな、このままだといずれ自分は全く誰も知らずにぐったりして部屋の隅とかで死んでいるであろう、おそらく最後に食べるのは干し芋かツナ缶であり、最後に他人とする会話は「なんらかの支払いをしてください」という旨であることは間違いない、そしてその未来(死)は遠くないところに差し迫っていてこのまま安穏としていると避け難いであろうと確信をしたので自分のどうでもいい私的インターネット宗教方針を曲げてSNSを始めたのです。


やってみるまではSNSやってるやつ全員ダサくてみっともなくてくだらないことにとらわれている集団に見えていたのですが、実際にやってみると自分が関わることのできる社会の一旦のような部分に比べると評価軸が多様で、しかも身体性を伴わない分「何か迷惑をかけているんじゃないか…」という妄想にとらわれることもなくかなり自由に本当に自分が思っていることを発信できる場だと思いました。小学生の時にインターネットに触れてモナーが心の友達みたいに思えた時に、地域社会にアンタッチャブルな存在として扱われていた魂が救われたように、普段生きていて見える範囲では不可視のものとされている人間の精神や感覚に触れてやっと少し生きた心地がしました。

その時同期の大学生は死んだ目をしてパチンコの映像を制作するブラック企業に就職していったり音信不通になったり精神崩壊して実家に帰ったりしていました。自分がそうならなかったのは、ギリギリのタイミングで素直に自己開示をすることができたからだと思います。あと大学を辞めて自分のままで生きる覚悟が遅すぎるけどやっとできたからです。


あの時の暗澹たる空気を忘れることができません。


その苦しみや疎外感は、当然自分がもたらした結果でもあるのですが、美術教育の欺瞞やビジネスでしか測れなくなっている部分(一般大学でも同じようなことが起こっているとは思いますが)にも起因するものではないかと思うので煮詰まって苦しんでいる人のなにか力になりたいと思うのです。

だから、カリスマサイドなんかに加担したくないかもしれませんが、それでもなんらかの形で力添えができればと思うのでよかったら連絡をください。話を聞かせてください。



いつでも待ってます


水野しず(気さく) kisaku@mizunoshizu.com


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