脳が疲れたからサウナに行ったらモノマネの番組が流れていた。山口百恵〜aikoのモノマネをやっている人が、山口百恵の時は苦しく、狂おしそうなのにaikoさんになった瞬間抑圧を爆発させながらかなり気持ちよさそうに高音を出していた。そりゃそうだ。山口百恵って生贄の代表選手というか。世の縮図が1箇所で上手いこと煮詰まりすぎているオーパーツみたいなところがあるので、そこからのaikoは開放感がすごくて何かの儀式に見えるくらいの領域に差し掛かっていた。それで自分はよかったねと思っていたのですが、aikoさんのモノマネになった途端5人くらいいたサウナの客が続々とサウナから出て自分ひとりになってしまった。それも至極当然のことであり、なぜならaikoのモノマネはひどくつまらない。というかaikoさん本人のセルフパロディーを回収する能力が高すぎるあまりに本人以外だとテレビで放送するレベルで飛び抜けて上手いモノマネでもなぜかとても上手いカラオケにしか見えず芸として成立させられない。急にサウナから人がいなくなるの初めて見たけど、知らない人のカラオケをサウナで聞くのは全員イヤだと思うから納得した。

例えばX JAPANのToshIさんはセルフパロディを自分の手元に手繰り寄せたり、また引き離したりする能力が異常に高いけど、どのレンジに引き寄せられつつある集合意識体としてのToshIが転がっていてもそこには余白があり手垢が付いていない誰のものでもないToshIの聖域が、しかも聖域としては随分健気で多くを語りすぎない木陰のようなものがいつもある。しかしaikoさんは絶対他者を入り込ませないディズニーのような版権意識の高さを感じるのでモノマネはたのしいかも知れないけどたのしいだけだよと思っていたら案の定落選してしまった。やりたいことは分かるけどだったら山口百恵の中でギャップを作った方が伝わるかもしれないと思ったが、そこはすでに誰もいない荒野のサウナだったからわたしの汗がひたひた落ちるだけだった。

家を出る時

「今日は他人のカバンばかり見る日」

って決めて他人のカバンばかり見ていたら、ご婦人の方なんかは肩から死体(しぼんだ胃袋)のようなグンニャリした形状の皮袋を吊り下げていることが案外多くて、
それはデザイナーの意図ではなく牛革が、重力によってしかたなしにグンニャリしている感じ、つまりは生活感、止むを得ずそういった形状を取らざるをえないだらしなさやるせなさがそのままぶらさがっていて、

そんなに死体みたいにグンニャリした形状のものを実際に死体と同じ素材でグンニャリさせているのは隠し事がないというか、そのまますぎてファッションになっていない、極めて現実に近い、ここで言う現実とは焼肉屋でハチノスとかギアラとかのとなりに「子宮」って書いてあるような感じの現実のことなんですけど、そういう感じ

あと居酒屋の入り口のところで氷を張ったタライに生の魚を展示してあったりして、そういうところで横たわっている魚の付近に「スズキ」っていう札が貼ってあったりするとスズキのサイドからしてみると生きている状態がデフォルトなのに居酒屋のサイドは死んでいる状態を「スズキ」のデフォルトと考えているために

「スズキのデフォルトがかみ合っていない」


それが すごい 気になる。スズキはもともと口というか言語はないけど死んでいるので輪をかけて死人に口なしみたいなことになっていると思うと、ここにも上で言ったような生活感から派生した形の現実み(そのまますぎ感)がある。

自分はそういうそのままの感じ、犬の肛門みたいな感じが苦手なのでほぼ人が住んでないけど1〜2人くらいは住んでしまっていそうな感じが漂っているゴーストタウン化した団地とか反対に税金の払い方が謎な人とか芸能人とかしか住んでなさそうな要塞みたいな建物とかの雰囲気は結構落ち着くというか、少しくらいは体の表面を漂っている自我を緩めても殺されなさそうで気が楽に思えるんだけど、実際住んでみたらどうなんだろうか。

もっと極端なことを言うともう腐ってしまっているものは人為と仕方なさを忙しなく駆け巡る運動がなくなっているので気が楽に思います。具体的な場所などをあげると怒られそうだから言わないけど。

ハワイアンミュージックって「生の対岸には死があり境界線はグラデーション もっと濃厚に死を纏うことでより楽園 ようこそ どうぞ いらっしゃいませ」の感じがして実際そういった風土の場所で聴くというか体を預けるのはいいが、東京で、この昼間から偏執狂じみた執念で均一な明かりを空間に覆って死をマスキングした都市で急に脳身体に入りこむと生きた心地がなくなるからフレッシュネスバーガーとかからハワイアンミュージックが漏れ聞こえてくると死んじゃう。震災直後、節電で昼間の電車内の明かりが点いていなくてあの空間はとても心地よかった。死は緩やかな繋がりを感じるから人間の密集がいやじゃなかった。本当はあるのに、死が、バレないように隠していることができなくて隠せなくて、気まずい。特にエレベーターの中とか。小学生の頃いつも手放せなかったゲームボーイは電池がなくなってくると赤いランプの点滅が薄っすら消えてきて画面の表示が薄らいじゃってだんだんなくなって動かなくなったあとも画面に液晶が少し残っていた。残響。エレベーターに乗った時に他の人の意識だけその場に少し残ってるのを感じることがあってゲームボーイを思い出した。そういう気配でしか、他の人間が本当に生きていることが、わからない。ゲームボーイとかファミコンとかロクヨンみたいなROMカセットのゲーム機体からは人間の体と同じような気配とか念を感じるんだけど、プレイステーションとかゲームキューブみたいなディスクのゲーム機体は生きた気配を纏っていない。冷たい。でも人間が作ったものだから36世紀くらいになったら人間の生きるもプレイステーションみたいになるのかなとか思う、ハンターハンターのグリードアイランド編でゴンとかキルアがプレステに念を送って意識の世界で生きたみたいな、アレッ、生きてるのか死んでるのかわからなくなってフワフワしている。

新宿でアルバイトをしています。








店長が昨日ご飯をおごってくれた。


店長は男性だけど身長が156㎝くらいしかなくて、フェアリーというか妖精みたいなホビットみたいなかんじであって、いつもそんなに悪くはないしまりのない笑顔をうかべています。


50なん歳くらいかと思っていたら、37歳とかでした。






そして店長は「見えている人」でした。


(東日本大地震の前日もカップが割れるからとかいって普段より念入りに梱包していつもと違う場所に片付けていた)


そして僕は水で、あの人は木です。とか、そういう捉え方をする人間でした。


そして、店長は


「僕は365日の誕生日占いの本というのをみて、12月19日生まれの人間が僕を助けてくれる、とあったのだけど、1219の人がついに現れたと思った。それがあなたです」


とかいうことを言ってきた。


そうして私は店長に勝手に意味を付け加えられてしまいました。


最近、電話して出なかった人が携帯電話を切ったとたんに出かけ先のコンビニに入ってきたり、いませんか?と訪ねた人がすぐ後ろにいたりして、携帯電話じゃない方の電波が使えるような気がしています


そのあとも店長から「僕の心の中にあることを理解できる人にあったのは初めてです」というメールがきた




だけど店長は仕事はあんまりできる方ではないので、イケメンの岡本には嫌われています。


イケメンの岡本と2人になったとき、イケメンの岡本は店長のことを、


「あれだけ仕事ができないと軽蔑せざるを得ない」と、はっきりとした発音で私に言いました。


でもどちらかというと、私はイケメンの岡本の方が苦手です




イケメンの岡本は、外見は身長が高く、目鼻立ちがすっきりと通り、清潔感のある黒髪をミディアムにカットして、一点の曇りもない肌に綺麗な歯並び、高音域の良く通るバリトンの声でさわやかショルダーバックにワックスとニベアのハンドクリームという、社会的には完全に成立している一方内面は空虚


というアンバランスな人間なのです




なまじ外見がすこぶるイケメンなので、彼の内面の空虚さが彼にとって深刻な事態にはおよんでいないところが深刻な問題であるし、黙っていても付加疑問文で「自分が愛されるのはとうぜんですよね、違いますか?」という現実感を共有させてきて、それら全ての違和感を現実イケメンであることの説得力で解決しているのですが、騙されきることができないみずのしずもまた同時に存在しているのです。


そして騙されるとこができないみずのしずはイケメン岡本にとっての異物であり


イケメンという厚いマスクに覆われて半ば死んでいた岡本のリアリティーが狂ったような叫び声を上げて私たち2人のみている世界を歪ませている


私は岡本に絶望的な孤独を見ました。




岡本の生い立ちになにか原因があるに違いない


私も岡本も大人なので何かきいたりとかはしませんが


今日は明日姉の卒業式の為、母が美容院に行きますとのことで
私はどうしても読みたい本があった為、お願いして図書館まで車に乗せてもらった(休館日)
やむを得ず本屋で蝉の一生のぬりえを立ち読みして、
途中母は金持ちしかいかない警備のいるスーパーに行こうとしたらなんでかそれも暗くなってて、
しょうがないので中産階級向けのスーパー、生協に車を停めた。

母は生協に入るなり トイレ 、と言った。
傍らで「 無料 ミネラルウォーター 」を飲んでながらうろうろしてると
生協に にかい があってそこに「外気孔 無料 体験」のふだを見つけたので、
やろうと思って母に伝え、 にかい に登った。

ドアを開けたらついたてがたっててそれで少し、静かだし変な気、を感じて、でもずいっと入ってくと既に、じいさん、じいさん、ばあさん、ばあさん、とパイプイスにかけて四角に集まっている。
私が入って、じいさん2とばあさん1が「ウホホオッ(若者だ、興奮)」とイスから浮き上がり、私をその勢いの圧で空いたイスに座らせて、靴と外套をさらった。くすんだだけのホワイトボードを見つめて、残婆が惚けている。
うわーごめんごめん、とか思ってたら後頭部になにかまた圧、を感じて、見るとじいさんが私の体のまわりで手をひらひらさせている。私の体からこぶしふたつ分くらい離したところから体のラインにそってさするようにして送ってきているのだ。

外気孔 である。

ただし手を動かすところを見ているとあまり上手ではない。ナンシーせきの記憶スケッチのような、具体的なイメージがないけど頭の中にある印象をなんとなく再現しようとしてしまったような、下手くそさ、素人臭さが拭えない。あと私は滅多なことがあっても心を開かないので気がくる境目にすごいバリアをはった。でも耳のところだけはどうしてもバリアが作れないから耳の穴から人間の生々しい腐る生ごみの熱のような温度がにゅるにゅる流し込まれてきて、さらに田舎の老人特有の生と性に対する執着みたいなものが粘っこくまとわりついてきた。でもいいじゃないか、とそれらを許した。

なんか整体みたいなことをしてるのかと思ってたからだいぶちがうかんじだった。

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