月別アーカイブ / 2018年02月

みなさん、こんにちは
三宅あみ です


着物で乗る新幹線は
背筋がシャキッとしすぎて
仕事終わりのオフタイムには
向きませんね😅
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やっと!
ここ数ヶ月の心配の種だった講座が
終わりました!

流れの簡素化は内容の薄さに
つながるので、
直前まで削るか活かすかの
せめぎ合いを繰り返し、
爆速で 頭を回転させて
喋り倒しました😖
疲れた…

でもこれきっと面白いなぁ!
お絵かき歌まで入れちゃったもんなぁ😆
気になる方は別日に遊びにいらしてください٩(ˊᗜˋ*)و


・3/3 10:30〜12:00 テーマは西郷どん!
クラブツーリズム
東京に戻ったらすぐまた
原稿と下見が待っています😅

みなさん、こんにちは
三宅あみ です


先月プレイベントを開催し
司会を担当させていただいた
「食旅企画」がいよいよ始まります😃

日本橋とやま館と三重テラスが協力して
両県の食材自慢!食文化自慢!
をしてくれますよ✨


第一弾のテーマはみんな大好き牛肉!!

富山の氷見牛、三重の松阪牛の
魅力・歴史・現状について
生産者さんからお話しを伺い、
3月の一ヶ月間
とやま館と三重テラスで提供される
"氷見牛・松阪牛両方味わえるメニュー"
をご試食いただけます!
お酒もね!

みなさんぜひご参加ください☺️🌸


【食旅トーク 第一弾】
2/28(水) 19:30〜21:00
会場は 日本橋とやま館

みなさん、こんばんは
三宅あみ です


2月の"健康にもなれる長距離まち歩き"
「江戸っ子まち歩き」は
歌舞伎をテーマに巡りました!


出発は、江戸三座のうち
中村座・市村座のあった人形町から。
中村座の前身猿若座が移転してきた1651年から、1843年の浅草猿若町移転
まで芝居町として賑わっていました。
歌舞伎より早い1617年頃までには
人形浄瑠璃の小屋も立ち並んでおり
人形を作る職人が沢山住んでいました。
だから人形町という
名前になったんですね😊

芝居町として栄えた街を伝えるため
勧進帳の弁慶像が建てられています。
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甘酒横丁は明治初期、尾張屋の売る
甘酒が大人気となったためついた名前。
今は双葉が甘酒屋を引き継ぎ
尾張屋跡地は玉英堂になっています。

人形町といえばからくり時計ですね!
こちらは人形町を担当した町火消し
「は組」が梯子乗りや纏振りをしますよ!
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人形町エリアにはかつて、銀貨を
鋳造・検印する「銀座」もあり
蠣殻銀座と呼ばれていました。
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谷崎潤一郎も
この地の谷崎活版所生まれ。
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どうしてここにクジラが!?
実は、人形浄瑠璃の精巧な首の動きには
弾力に富み、弾力が安定する
鯨ヒゲが欠かせないんですよ😱✨
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そのすぐ先には西郷隆盛の屋敷跡が!
明治4年〜6年にかけ新政府の要職に
就いた西郷が、15人ほどの書生、
数頭の猟犬と住んでいました。
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強運厄除けの霊験がある小網神社は
地域の方から厚く信仰されています✨
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江戸橋、日本橋と解説しながら通過、
その先は銭瓶橋です。
江戸城大手門から真っ直ぐ下り
最初の町人地日本橋へ続くこの場所は
とても繁華なエリアだったようで
橋の袂には街が出来始めて最初の
髪結床と湯屋があったといいます。
さらに、玉川上水の吐け口となっていて
深川辺りに売りに行く水売りが
この橋の吐け口で水を汲んでいました。
今は埋められていますが、
隅田川から真っ直ぐ江戸城へと
水路が続いていたんですね。
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こんな所も通りつつ…
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将門の首塚を訪れます。
歌舞伎にも登場する将門の念ですが
江戸っ子にしてみれば、
強きを挫き弱きを助ける将門の改革は
人情味があり慕われるものだったのです
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そして江戸城をぐるっと回り
大奥のお使いになった気分で
平川門から入城、大奥を目指します。
平川門は大奥女中の通用門ですが
すぐ横には帯曲輪門といって
罪人と死者を出す門があります。
別名不浄門。
ここを生きて出たのは浅野内匠頭と
大奥御年寄江島のみとされています。
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雪の先に天守台。
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「仮名手本忠臣蔵」で知られる赤穂事件
の現場となった松の廊下跡を見た後は
お仕事終わりの大名様気分で
大手門を後にします。
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猿若座は人形町移転前まず最初に
この辺りの中橋に建てられたことから
江戸歌舞伎発祥の地の碑があります。
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御公儀橋京橋の親柱
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そして今回もギャラリーを訪れます。
歌舞伎座ギャラリーでは松本家三代の
襲名にあわせ特別展示をしていました。
3人と一緒に襲名披露しているような
写真が撮れましたよ!
裃もフェルトで用意されています(笑)
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そこから少し頑張って歩き増上寺へ。
将軍家宣の側室月光院の代参として
増上寺に参詣したのち
芝居を観、役者生島と遊興にふけり
門限を過ぎてしまった大奥御年寄江島。
大奥内覇権争いや大奥規律の強化から
江島は高遠藩お預け、生島は遠島
山村座は廃座、その他の関係者も
厳しく処罰を受けた事件。
これが「江島生島事件」です。
増上寺には6代将軍家宣、7代将軍家継
家宣の側室で家継の母月光院
などのお墓があります。
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増上寺から近い芝大神宮(芝神明)も
歌舞伎の有名な演目
「め組の喧嘩」の舞台です!
1805年この境内で開催中の勧進相撲を
見に行った、め組の辰五郎・長次郎と
力士九竜山の喧嘩が大騒動に。
町奉行・寺社奉行・勘定奉行という
三奉行揃っての協議は珍しく
人々の注目を集めます。
南町奉行根岸鎮衛の人情裁きにより
死罪は出ませんでしたが…とばっちりを
受けたのが芝神明の半鐘です😅
「大騒動になったのは芝神明の半鐘が勝手に鳴り出したからだ!」ということで
可哀想な半鐘は三宅島へ遠島。
明治に入りやっと戻ってこれました(笑)
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芝大神宮は生姜や千木筥も有名です✨
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ということで、今回も歌舞伎だけでなく
様々なスポットを解説しながらの
6時間となりました😆🎵

【クラブツーリズム 江戸っ子まち歩き】
3月テーマは浮世絵
4月テーマは花見   最終回です!
みなさん是非ご参加ください💕

3月
4月

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